この国はおかしな方向に向かっている──作家の伊集院静氏は日本の将来に強い危機感を持っている。一向に進まない震災復興、嫌韓に代表されるヘイトスピーチ‥‥。現代を生きる大人たちに必要なものは何か。あらためて提言してもらった。
──累計110万部の「男の流儀」の最新刊は、「許す力」がテーマです。いささか意外です。
伊集院 そう、私は許さない男だったからね。でもね、ちゃんと生きている人は、それまでの人生の中で、許せない人や許せないことに出会っているんだ。そして許せない自分が嫌だと苦しんでもいる。
──許そうとしない自分の度量の小ささがつらい、と。
伊集院 じゃあ、許さなくていいと考えたらどうだろう。相談に来たある女性に、私はそうアドバイスした。すると数日後、彼女から電話があったんだ。「許さなくてもいいと思ったら、すごく楽になった」と言う。「許さないけど、許しちゃおうかな。許せるかもしれないなと思ったら、いろいろやる気が出てきた」と言うんだね。これが「許す力」だ。
──最新刊の長編小説「愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」は、主人公・ユウジと彼をめぐる3人の男たちの物語です。主人公のユウジには伊集院さん自身が投影されていますが、彼は「許す男」でしょうか。
伊集院 私はガンで家内を亡くしてから、なかなか社会復帰できなかった。なぜ復帰に時間がかかったかというと、家内を救えなかった自分を許せなかったから。必ず生きて帰すと決めたにもかかわらず、彼女を救えなかった。「誰のせいでもない、医者のせいでもない、すべてオレの力のなさだ」と思いつめた。人間はそういう思考回路に入ると、なかなか抜け出せない。私に限らず、すべての責任を自分で背負おうとする人は多いんだね。
──そうですか。
伊集院 このあいだ会った人は、東日本大震災で、両親と奥さん、そして子供を亡くした。津波が来るほんの数分前、家族全員に「早く逃げろ」と言って、自分は船の様子を見に行った。海の男にとって船は自分の存在証明みたいなものだからね。船を見に行った自分は生き残って、逃がしたはずの家族は全員死んでしまった。彼は自分を3年間責め続けている。私は彼に、「自分を許せないという気持ちにとらわれるだけでは、家族が何のために死んだのかわからなくなるよ」と話した。
──小説では、ユウジと3人の男たちが描かれています。
伊集院 1年半の間に3人の親しかった男が死んだ。一人は腐乱死体で見つかり、一人は川に落ち、一人は崖から海に飛び込んだ。これを書くか書くまいか随分迷った。世間は彼らを愚か者と呼ぶかもしれないけど、私にとってこんな愛しいヤツはいない。今でも、たとえば一人で酒を飲んでいるとき、「こんなとき、あいつが待っていてくれたらな」と思うことがある。そして、「ああ、死んじまったんだな、チェッ」とね。書いていくうちにだんだんわかった。「これは友情なんだ」と。友情だと意識するのはもう友情じゃない。彼らは私に何も求めなかった。私も彼らに何も求めなかった。ただ、出会えたことで、非常にいい時間が流れた。出会えたことで生きる実感があった。そして誇りがあった。
──誇り?
伊集院 あいつの前でみっともない姿を見せたくない、恥ずかしい生き方だけはできない、ってね。友情と言ってしまうと簡単だけど、無償のものだから、恋愛とか、親が子を思う気持ちとか、そういうものよりも格が上じゃないかと思う。
◆プロフィール 伊集院静(いじゅういん・しずか) 50年山口県生まれ。72年立教大学卒。81年短編小説「皐月」でデビュー。92年「受け月」で直木賞、94年「機関車先生」で柴田錬三郎賞、02年「ごろごろ」で吉川英治文学賞を受賞。「いねむり先生」「ノボさん」など著書多数。