「『リズムはタイトに!ゼイ肉を落として!ガーン!!ちゅうげな…これがロックたい!』という鮎川さんの言葉が今も頭に残っています。完全無欠、唯一無二のロック人生だったと思います」
シーナ&ロケッツのギタリスト・鮎川誠さんの訃報を受け、交流が深かった同郷の後輩である陣内孝則は、こんな言葉で死を悼んだ。
80年代、博多を中心に一大ムーブメントを巻き起こした「めんたいロック」。それを牽引してきたのが、シーナ&ロケッツをはじめ、石橋凌在籍のARB、ザ・モッズ、ザ・ルースターズ、そして、陣内率いるザ・ロッカーズだった。
バンド結成は76年。当初はラモーンズやニューヨーク・ドールズなどの曲を演奏するコピーバンドだったが、革ジャンに革パンといった男臭い硬派バンドが台頭する中、デビッド・ボウイを彷彿させるメイクに、ド派手なスーツとマイクパフォーマンスで、女性ファンを中心に人気は高まった。
79年に福岡で開催されたコンテストでの優勝をきっかけに、翌80年9月にアルバム「WHO TH eROCKERS」でデビューすることになる。
ライブで培った経験は、ダテではなかった。この1stアルバムは、千葉の観福寺に録音機材を持ち込み、わずか3時間でレコーディングされたテイク集。メンバーたちは、ヨーロッパにある古城の地下室をイメージしていたらしいのだが、予算の都合もあり急遽、千葉県の寺院がチョイスされたというから面白い。
とはいえ、音は60年代のド直球なブリティッシュ・ビート。LPの帯には「このスピードについてこれるか!」という挑発的キャッチコピーが添えられており、まくしたてるような陣内のボーカルと、スピード感あふれる激しいビートが展開される。息つくヒマもない高速ノンストップ35分が清々しい。
ザ・ロッカーズは約3年という短い活動期間を経て、82年6月に青山タワーホールでのライブを最後に解散。その後、陣内は俳優の道へと進むことになるが、19年4月には、実に38年ぶりの新録オリジナル・アルバム「Rock’n Roll」をリリース。めんたいロックの本拠地・博多の香りがプンプン漂う、シンプルな音を堪能してみてはいかがだろうか。
(山川敦司)