X氏が話したAの実名をもとに、過去の新聞報道を調べていくと、確かに11年に強盗で逮捕された記事に行き着いた。ただ、Aの肩書は「自称会社役員で不良グループ『ドラゴン』のリーダー」となっていた。
この「怒羅権」と「ドラゴン」との違いについて理解するためには組織の成り立ちからの来歴を知る必要がある。怒羅権は日本に帰還した中国残留孤児の子供、10代の少年たちによって都内江戸川区で結成されたグループだった。当初は日本人からの差別と闘うため、同じ境遇にある者たちが結びついた集団だったが、根底には不当な扱いをする日本社会へのやり場のない怒りがあり、その捌け口を若者たちは暴力に求めた。近隣の暴走族との抗争を繰り返し、徐々に日本人も加入するなど各地に支部を抱える組織になっていく。裏社会に詳しいジャーナリストの石原行雄氏が後を引き取る。
「暴走族グループだった怒羅権は、その凶暴性から暴力団にスカウトされて、組員と怒羅権の二足の草鞋を履くメンバーも現れます。暴力団側は喧嘩で怒羅権の動員力を利用し、怒羅権側も暴力団の威力を利用して大きなシノギを得ていく。こうしてより犯罪者集団の色合いが濃くなっていきます」
それに拍車をかけたのは、90年代に入って国内に中国からの密入国者や不法滞在者が増えたことだ。
「法を犯してまで日本にいるのは、手っ取り早く金を稼ぎたいから。そうした不良中国人にしてみると、中国語を理解して、日本の裏社会に精通する怒羅権はありがたい存在で、中には中国本土の犯罪ネットワークにも通じる人間もいた。そうした連中を取り込んで怒羅権は肥大化していくのです。しかも、強盗や殺人など粗暴犯だけでなく、各種カード偽造など専門的な技術を要する犯罪まで手を広げ、まさにマフィアとなったのです」(捜査関係者)
職業として犯罪を行う怒羅権と名のつくグループは都内だけでも複数存在するという。捜査関係者が続ける。
「もとより暴力団のような明確な組織形態はなく、かつ暴走族時代に複数の支部があったわけですから、各地にリーダーがいました。それに加えて、犯罪ごとにメンバーが離合集散することも多く、中には仕事を手伝っただけで怒羅権を名乗るようなヤカラもいたそうです。こうしたことから複数のグループが存在すると言われています。そのため警察は共犯者も含めた連中を『怒羅権』ではなく『チャイニーズドラゴン』と呼ぶようになったのです」
10年に歌舞伎役者の市川海老蔵が元暴走族メンバーから暴行を受けたことで、一躍、ヤクザ組織に属さない不良グループ「半グレ」に注目が集まった。これを受けて、警察庁は13年に半グレグループを「準暴力団」と位置づけ、各種法令を用いて取り締まり強化を決定する。
海老蔵を襲った「関東連合OB」と並んで最初に公表されたのが「チャイニーズドラゴン」だった。つまり、それほど手を焼いていたのだ。
以後、どれほど半グレの実態解明は進んだのか。週刊アサヒ芸能は今回、19年に警察当局が作成した「極秘資料」を入手。そこには、東京や大阪の都市部だけでなく、長野や沖縄などの地方にも存在する半グレグループ29団体の通称が列挙されていた。加えて、暴走族や地下格闘技団体などグループのルーツも付記され、一部のグループには図表まで付いている。リーダーとメンバーの氏名を線で結んで、いかなる関係があるかまで解説してあったのだ。