外国為替市場での円相場の下落が止まらない。一時は90年8月以来32年ぶりに、1ドル150円を下回った。円安とは、はたして「国力低下」の表れなのか。一般庶民は国内の値上げラッシュに右往左往するばかり。値上げの秋本番、有名人の訃報も相次いだ22年10月。なお「臨終」は、傍らに横たわることを止めない。ならば、著名人の墓碑銘を紐解くのも、悪くはないだろう。
01年(平成13)年11月7日。左幸子が死去。享年71。85年に胃ガンを発症した後の、肺への転移が死因である。元夫は映画監督の羽仁進。一人娘は羽仁未央(エッセイスト)である。
左幸子が演技派の大女優であることは論を俟たないが、その代表作は、60年代に集中している。
63年10月18日公開「彼女と彼」(羽仁進監督・ATG)
63年11月16日公開「にっぽん昆虫記」(今村昌平監督・日活)
65年1月15日公開「飢餓海峡」(内田吐夢監督・東映)
このように主演作が続き、「彼女と彼」および「にっぽん昆虫記」で、日本人初の銀熊賞(1964年ベルリン国際映画祭女優賞)を受賞。「飢餓海峡」では、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞している。
さて、「にっぽん昆虫記」だ。昭和38年の作品である。冒頭、ゴミムシらしき昆虫が何者かに追われるように、地面を這いつくばる様がユーモラスながら、坂を懸命によじ登る姿に、タイトルイン。にっぽんの昆虫=日本人なのか。はたまた、にっぽん=昆虫の物語なのか。
「大正七年 冬」から物語は始まる。まぐわう男女を見据える視線。
「大正十三年 五月」、生まれた女の子は、誰の種だったのかわからない。その運命の子こそ、左が演じる東北の娘・とめである。胸まで浸かる泥田を這い回る知恵遅れの父ととめに、血のつながりはない。膿んだとめの太腿から、膿を吸い出してやる父。近親行為にも似た濃密な時間が描かれる。左の太腿はあくまで白く、艶めかしい。
やがて、嫁に行った先から出戻ると、とめは身ごもっていた。「昭和十八年 正月」、とめに娘が生まれる。
娘は信子と名付けられる。母乳を吸わない信子に、とめの乳は張って痛い。「吸って」と父に吸わせるとめ。夏、山の中。大らかな「生」の営み。終戦は近づいている…。
「敗戦」「農地改革」「組合運動」と、戦後にっぽんのメルクマールの映像がインサートされ、昆虫=にっぽんもまた、生存本能のままに「生」の営みを続けるのである。
「松川事件」「朝鮮戦争」「新興宗教」と続く、戦後にっぽんのキーワードとともに、とめは、新興宗教に取り込まれ、知り合った色宿のおかみのもとで働くことになり、いつしか自身も身を売ることとなるのだが…。
「血のメーデー」「皇太子ご成婚」「伊勢湾台風」と時代は進み、とめに「父危篤」の電報が届く。
家に向かう途中、「立ち小便」をする、とめ。
臨終間近い父が「乳」を求めると「とうちゃん、おれの乳だぞ、とめの乳だぞ、飲め」と胸を露わに、父の口元に差し出すとめが神々しい。
「おれな、東京で立派にやってんだ」と父に、自分に言い聞かせる。
東京で一時は、色宿を経営するまでになるとめだが、その精神風景は、東北にとどまったままである。とめの戦後も、にっぽんの戦後も、「虚妄」であったか…。
確かなのはラストに描かれる、ぬかるみに足を突っ込み、下駄が真っ二つに割れても、尻からげで前に進むとめの生命力。実はそれが「にっぽん」そのものの、したたかな生命力なのかもしれない。
とめのつぶやく短歌が、いつまでも耳に残る。
愛してるぅ 全ての人にぃ 裏切られ つらき浮世を 一人ゆくわれぇ~