テリー じゃあ、その酔っ払いがきっかけで、毒舌っぽい感じになっていったんだ。
きよし そうだね。相方は自分で書いた本でも言っていることだけど、当時、何ていうのかな、躁うつ病みたいなのがあって、落ちこぼれだったと思うんだよ。兄貴は博士とかになってすごく偉くなってるのに、自分は明治大学中退で浅草に来てるわけだから。その時は芸能界に入って売れようとかね、そんなのこれっぽっちもなかったと思うんだわ。
テリー ふむ。
きよし 俺が「漫才やろう」って引っ張り出すまでは「劇場でゴロゴロして、そのうち何か見つかればいいな」みたいな感覚だったと思う。そのうえ、仕事はすっぽかすわ、酒を飲んでくるわで「『お前はもういらないよ』って言われたら、それでいいんだ」みたいな気持ちもあったと思うんだよね。だからこそ、ネタも今までのような正統派の漫才じゃなくて、悪口とか毒舌とかをガンガンやり始めたわけですよ。
テリー なるほどね。
きよし 僕らは師匠連中に「漫才やコントとはこういうもんだよ」という教わり方をしてきた。だからとうてい、相方みたいな感覚は俺にはなかった。だから舞台に立つ時は、僕のほうがいつも怖いんだよ。
テリー 演芸場で注目を浴びて、そこからテレビに出だしたんですね。
きよし 寄席に出てると、ドッカン、ドッカンとウケるようになって。それでテレビ東京から声がかかった。そしてヒデとロザンナが司会をやっていた「爆笑パニック!体当たり60分」っていう番組に出たんですけど、その時のゲストがコメワン(コメディNo.1)さんとツービートよ。
テリー コメワンさんって、アホの坂田さんと前田五郎さん。
きよし そうそう。コメワンさんはある程度テレビに出ていて売れていましたけど、その時は本当にたまたまウケなかったんです。その次に「テレビは初めてだし、ウケなくていいから、やるだけやって帰ろう」と思って僕らが出ていったら大爆笑だった。そこで「お前ら来週からレギュラーやれ」ということになって、次の週からレギュラーですよ。
テリー すごいね。
きよし それから日テレやTBSでもレギュラーをもらって、フジテレビで「お笑い大集合」というレギュラー番組をやっている時、「花王名人劇場」で漫才をやったのが視聴率がよかったんじゃないですか。それを若手のディレクター連中が見ていて、横文字で「THE MANZAI」と打って作ったのが当たったんですよ。「お笑い大集合」のプロデューサーがそのまま「THE MANZAI」にスライドしていって、そこから空前の漫才ブームが始まったんです。
テリー 浅草のストリップ劇場の時代から比べたら、収入が急に増えるわけじゃないですか。
きよし 収入なんて言っても、僕らは給料ですよ、太田プロで。最初は12万かな。それが15万、30万、60万と、3カ月ぐらいでポンポン上がっていくんだもん。でも、振り込みだったらよかったけど、手渡しだったから。
テリー ああ、使っちゃった?
きよし 使いますよ。だって、ポケットに入らないんですもん。だからお札をバラして、こっちとこっちに‥‥。
テリー 厚すぎて入らないってこと?
きよし そう。
テリー いくらぐらいもらってたの?
きよし いや、そんなでもないです。給料だから。
テリー B&Bとか、相当もらってたんじゃないかなぁ。
きよし B&Bは歩合制だったんだよね。
テリー きよしさんはちゃんとお金は残ったの?
きよし いや、使ったのと、だまされたのと。
テリー 使ったのはしょうがないけど、何でだまされちゃったの?
きよし 身の上話をされて、俺もどうにか工面して金を渡したら、急にいなくなっちゃったりね。そういうのが多いですよ。
テリー きよしさんは、人がいいからな。
きよし だけどさ、俺は山形の田舎育ちでさ。うちを留守にしても鍵もかけない。行商の人が昼になると「弁当食べさせて」って勝手に上がり込んで来て、自分の弁当広げたら、お袋が味噌汁やおかずを出してあげるような、そんなところで育ったら、人を疑わないですよ。最初から人を疑ったら、つきあえないから。