MANZAIブームの急先鋒にして規格外のカリスマ性を放ったツービート。破天荒な舞台裏をビートきよし(70)が語る。
僕らは当時、「お笑い大集合」(フジテレビ系)という若者向けの番組で司会をやっていました。そこで、漫才のコーナーの視聴率が少し高かったそうなんです。それを見た若手ディレクターが、「漫才をMANZAIにして番組を作ろう!」となったのが、「THE MANZAI」の始まりです。
「他のコンビには負けない! いちばん笑いを取ろう!」
そんな気迫が全コンビにみなぎっていた。胃が痛くなるほど、真剣勝負の場でした。しかもウチの相方(ビートたけし)は、ネタ合わせどおりやらず、50%は構成を変えたりアドリブでやる。「コマネチ!」もアドリブだし、急に客に対して悪口を言うしで、ギョッとしますよ。次に何が来るのか、真剣に聞いていないと追いつかない。僕の代名詞は「よしなさい」だと言われるけど、相方の次々に繰り出される言葉に重ならないよう端的にツッコむには、その言葉がいちばんハマッたんですよ。
そうそう、僕らを最初に使ってくれた番組は「爆笑パニック! 体当たり60分」(現・テレビ東京系)。収録前のリハーサルでは、「今のネタだめ。それもダメ」とカットされ、「それ以外のネタでやること」と言われました。以降、どの局でも僕らがネタ見せする時は、スタッフが必ずテープレコーダーを回すんです。
「俺は『ここをカット』と言ったからな、証拠もあるから。本番で違うことをやってクレームがついても俺は知らないよ」
で、気がついたら相方のネタは半分に(笑)。そういえば「笑点」(日本テレビ系)を干されたこともあった。
「酒を飲まないで酔っ払う方法があるんだよ。サントリーの角瓶で頭を殴るの。ふらふらになるだろ?」
「酔っ払ってないだろ、それは!」
こうやったら、「笑点」のスポンサーがサントリーだったんですよ。それっきり、お呼びがかからなかった。
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「THE MANZAI」開始後、たちまち漫才ブームが席巻。バブルに向かう景気も相まって、芸人たちの前に札束が飛び交った。
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忙しくて平均睡眠時間は3時間。営業が“裏かぶり”していた日もありました。でも、当時所属していた太田プロは給料制。B&Bは歩合で、月収6000万なんて聞きました。
ただ、夜遊びしていても金が入る時代。飲み屋の隣のテーブルから声がかかり、1杯飲むだけでテーブルの下から「お車代です」とこっそり10万円が差し出される。まあ「その筋」の人でね、彼らにはよくしてもらったなあ。地方公演では最前列に地元ヤクザが座り、チップが飛び交うんです。中には、100万円の束をもらった芸人もいましたね。
今度、知り合いが経営する横浜のライブハウスで、芸人のライブを開こうと思っているんです。若手を育てたいと思ってね。テレビ用じゃなく、生身のお客さんを引きつける漫才師が、また出てきてくれることを期待しているんですよ。