そして、05年12月1日に起きた有希ちゃんの事件。当時、拉致現場となった日光市内の三差路に続く狭い道を怪しい白いセダンが通るのが目撃されていた。
「その道は地元の人しか知らない、車がすれ違うこともできない細い道でした。そこを通る白いセダン。おまけにロリコン、ナイフ収集の趣味のある変質者などを洗えば、当初、容疑者はすぐに逮捕されると考えられた」(地元記者)
実際、Aさんは事件後1カ月後には、「息子に犯人像が似ている」と今市署に通報した。が、
「どうも、勝又と殴り合い、腹いせに通報したらしく捜査員から一笑に付された」(捜査関係者)
だが、同時期に捜査陣の大失態が発生する。地元記者が続ける。
「実は有希ちゃんの遺留品から有力な手がかりと思われるDNAが採取されていた。物証が乏しい中、DNA照合が最も犯人逮捕に近い道として、地域住民の中で怪しいと見られた人のDNAが採取され、照合された。勝又のDNAも採取されたんですが、一致しなかった。それもそのはず、遺留品についていたDNAは当時の県警捜査一課長のものだった。遺棄現場でくしゃみをして、飛び散ったらしい。報道陣にも当時この件は伏せてくれるように要請していた。ともあれ、この件で勝又容疑者は対象者から外され、あわや迷宮入りかとも思われたんです」
発生から9年目となる今年1月。事件は意外なところから新展開を見せる。当時、偽ブランド品を売る仕事をしていた母親を手伝っていた勝又容疑者が骨董市で偽ルイ・ヴィトンのバッグなどを売っていたとして、母親とともに商標法違反容疑で逮捕されたのだ。
「4月になると、有希ちゃんの事件について『私がやりました』と自供を始めた。『有希ちゃんが夢枕に立つ』とも話したが、供述は二転三転し、捜査本部は意気消沈する。ところが、捜査本部の空気が再び変わるのは逮捕の1カ月前です。勝又の自供のニュースを知ったのか、再び元義父のAさんの情報提供が捜査本部にあったんです。その内容は『息子の車の中にランドセルが4個転がっているのを見た』『パソコンには大量の子供の画像が入っている』というものでした。それで捜査本部が1月に多数のナイフ、猟奇的犯罪を特集した本などと一緒に押収したパソコンを、消失データを復元するなどして徹底的に調べたら、有希ちゃんの遺体と思われる画像が含まれていたんです」(地元記者)
この画像が決め手となり、殺人容疑で逮捕された勝又容疑者は、有希ちゃんをいたずら目的で拉致し、騒がれたので茨城県に向かう山中で殺害、有希ちゃんの遺体が発見された常陸大宮市の山中に遺棄したとも自供。常陸大宮市の高速道路の防犯カメラには勝又容疑者の所有していた白いセダンが映っていた。
あまりにも残酷な「パソコンに残っていた画像」について、別の捜査関係者が声を潜めて言う。
「生死は判別できないが、全裸で座敷のような所に寝かされており、全身十数カ所の刺し傷が確認できた」(捜査関係者)
この捜査関係者は、さらにこうも明かす。
「パソコンには他にもインターネットからダウンロードしたと見られる幼い子供の裸の画像が大量に残っていた。中には、男児と女児の子供同士が撮影者に指示されて、全裸でセックスしている画像もあったそうです。日本人かアジア系の外国人なのか定かではありませんが‥‥」