いまだ終わりが見えない「ロシア・ウクライナ戦争」。プーチン大統領はなぜウクライナに侵攻したのか、ウクライナはどんな国なのか、この戦争はいつ終わるのか‥‥。混迷を極める「ロシア・ウクライナ情勢」を元時事通信社ロシア支局長で「大下容子ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)でも緊迫するウクライナ情勢を解説する、拓殖大学特任教授の名越健郎氏に「初心者でもロシア・ウクライナ情勢がわかる」ベストな5冊を紹介してもらった。
2022年2月に始まったロシア軍のウクライナ侵攻は、「兄弟殺しの戦争」といわれる。
ロシアとウクライナはもともと同じスラブ民族。ロシアのプーチン大統領は、ウクライナを「兄弟国家であり家族の一員」と称していたのだ。
だが、ロシア軍はウクライナのアパートや学校、病院、ショッピングセンターに容赦なくミサイルを撃ち込み、異常な「DV(ドメスティック・バイオレンス)」となった。欧州は第2次世界大戦以来、最悪の地上戦に突入した。
私は時事通信の記者として、計8年モスクワに駐在したが、初期のプーチン大統領はプラグマティック(実用主義)で、欧米首脳の評判もよかった。週に一度は道場で稽古をし、「柔道は日本の文化、伝統が生んだ哲学だ」と話す親日家だった。しかし、欧米やウクライナとの対立が拡大する中、民族愛国主義を掲げる保守イデオローグ(代表者)に変身し、遂に侵略戦争に踏み切った。
プーチンはこの3年、新型コロナ禍で人に会わず、帝政ロシアの歴史書を読みふけったという。引きこもり生活を経て、「ウクライナは切り離すことのできないロシアの不可分の一部」という信念を抱いた。
だが、この発想は1991年のソ連崩壊に伴う、独立後のウクライナへの無知と誤解を示している。私は2004年、ウクライナ大統領選の不正に抗議したオレンジ革命を取材したが、200万人の市民が首都キーウに集まり、親露派大統領候補への反対やEU(欧州連合)加盟を叫んでデモ行進した。
ロシア側に付きたい親ロシア派のデモを取材すると、規模は1000人程度で、参加者は「金をもらえるので参加した」と話していた。ロシア系住民の多くは、「ロシアよりEUと一緒にやりたい」と述べ、プーチン体制に魅力を感じていなかった。
両国の決裂はこの戦争で決定的になった。戦争の原因を知るには、両国の複雑な歴史や因縁を探る必要がある。
駐ウクライナ大使だった角茂樹(すみしげき)氏の「ウクライナ侵攻とロシア正教会」(KAWADE夢新書)は、宗教から見たロシアとウクライナの一千年の歴史をコンパクトに解説している。9世紀に誕生したキエフ公国がスラブ族の最初の国家で、次第にロシア、ウクライナ、ベラルーシの三民族に枝分かれした。
ウクライナにはロシア系正教会、ウクライナ系正教会、カトリックと正教会の折衷という3つの教会が存立するが、ロシアの侵攻で、三教会がロシアと完全に手を切る経緯が描かれる。「ウクライナ戦争は、同じキリスト教徒同士の殺し合いであり、世界のキリスト教徒に衝撃を与えた」という指摘も重い。
同書によれば、プーチンが柔道で学んだことは、相手のスキを見つける「勘」だったという。「プーチンはウクライナ侵攻に際して、バイデン米大統領は対中戦略で手一杯、ショルツ独首相は就任したばかりで指導力不足、ゼレンスキーウクライナ大統領は支持率低迷という状況を見て、スキありと考えた」という。しかし、侵攻は裏目に出て、ロシアは想定外の苦戦を強いられた。
一般のロシア人は、「ウクライナとロシアは、民族的にも文化的にも宗教的にも言語的にも、一つ」とみなしている。ロシア人は長年、ウクライナの東部と南部を「小ロシア」と呼び、蔑(さげす)んできた。
弟分のウクライナが家出し、よりによって敵対するNATO(北大西洋条約機構)の家に入ろうとしたことが、ロシア人を激怒させた。だが、この発想は戦後の国際秩序に真っ向から違反し、西側諸国の激しい制裁に遭った。
選評:名越健郎(なごし・けんろう)拓殖大学特任教授。53年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社。モスクワ支局長、ワシントン支局長、外信部長などを経て退職。拓殖大学海外事情研究所教授を経て現職。ロシア政治ウォッチャーの第一人者として活躍する。著書に「秘密資金の戦後政党史」(新潮社)、「独裁者プーチン」(文春新書)など。