テリー 今年は猪木さんが亡くなったじゃないですか。どんな方だったんですか。
武藤 もちろん猪木さんは師匠には変わりないんですけど、俺、2001年に新日本プロレスを飛び出て、馬場さんの会社に移籍して。そこからずっとご無沙汰というか、縁が切れちゃってたんですよ。
テリー なんで移籍されたんでしたっけ?
武藤 当時の猪木さんと新日本プロレスの主張する格闘技路線のプロレスが嫌いで、新日本プロレスに在籍しながら全日本プロレスにお手伝いに行ってたりしてたら、お客さんは歓迎してくれるし、居心地もよくて結果的に移籍することになったんです。
テリー そうか。
武藤 でも7、8年前かな。俺のプロデュースで「プロレスリング・マスターズ」っていうレジェンドばっかり集めたイベントをやるようになって。2020年に猪木さんを呼びたいと思って、その時にお願いに行ったんですよ。そしたら、すぐOKをくれたんですね。その代わり、その後1時間ぐらいずっとプラズマの訳のわからない話を聞かされたんですけど(笑)。
テリー エネルギーのね(笑)。
武藤 そうそう。で、プロレスリング・マスターズに来ていただいた時に、俺、初めて猪木さんから最初で最後のビンタをもらったんですよ。たぶん、それが猪木さんが最後に上がったリングで、亡くなられた後に報道番組とか、いろんなところでその写真が使われてましたね。
テリー じゃあ、最後に仲直りできたというか。
武藤 そうですね。で、これは俺は知らなかったんですけど、俺の引退試合で猪木さんのメッセージを流そうと思っていたみたいで。猪木さんの誕生日が2月20日なんですよ。で、その翌日が俺の引退試合で、次の誕生日で猪木さんは80歳なんです。で、「80歳になって最初が武藤の仕事か」なんて側近の人に言ってくれたらしくて、それにはちょっとジーンときましたね。
テリー かつての弟子のために何でも引き受けてくれて、男気がありますよね。
武藤 そうですね。
テリー でも僕ね、実は猪木さんが亡くなって、みんなが猪木さんのことをよく書いてる中、「猪木さんは日本一責任を取らない男」ってコラムに書いたんですよ。というのも、さっきのエネルギーの話もそうだけど、ほんと好き勝手やってきた人じゃないですか。だけど、武藤さんもそうだし、坂口さんも藤波さんも周りにいる人がみんないい人だから猪木さんを許しちゃった。ほんとにすごい人だったことは間違いないけど、その分すごく欠落した部分もあったんじゃないかって思うんですよね。
武藤 長州さん藤波さんは、たぶん猪木さんからしたら息子みたいな感じで、だからあの長州さんもいつも猪木さんの前では「会長、会長」ってビシッとしてるんですよ。でも俺らは孫世代だから、藤波さんや長州さんより、ちょっと図々しく言ってたような気がしますね。
テリー ああいうプロレスラーであり、凄腕のプロデューサーでもあるみたいな人はもう出てこないですよね。
武藤 いやぁ、変な話、モハメド・アリとやろうなんて普通は考えないですよ。でも、それを実現させちゃうんだから、ほんとにすごいと思いますね。
テリー 別に猪木さんにヒドい目には遭ってないんですか。
武藤 俺がまだ新日本プロレスの練習生で、小遣い程度しかもらってない時に、猪木さんがフラッと道場に練習しに来て、帰りに「武藤、タクシー呼んでくれ」って言われて呼んだんですよ。そしたら「武藤、申し訳ないけど1万円貸してくれ」って言われて、まだ返してもらってないんですよ。当時の俺の1万円ってすごい貴重だから、それは返してくれよってずっと思ってましたね。