「デュクシ」という掛け声を知っているだろうか。小学生男児が突き技と共に発する、謎の言葉だ。小学生男児は誰が教えたでもないのに、ある日突然「デュクシ」の突き技を会得する。さながら、ウミガメが産卵のために砂浜にやってきたり、鮭が生まれ故郷の川に戻ってくるかのように、本能的にだ。友達の脇腹にいきなり突き技を繰り出すこともあれば、ひとりで勝手にガンダムやストリートファイターになりきって「エアデュクシ」することもある。
この「デュクシ」は、とんねるずの木梨憲武が「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ系)の番組中で使ったのが起源とされているが、これはおかしい。
なぜなら、同番組が始まる前、50代や40代の男性が小学生だった頃、すでに「デュクシ」の通過儀礼を受けているからだ。木梨が考案者なのではなく、木梨も小学校時代に「デュクシ」していたと考えるのが妥当だろう。では、いつ頃から男児は「デュクシ」を使い始めたのか。
「それが誰に聞いても、インベーダーゲームが誕生し、YMOが結成された1978年頃なんですよね」
と言うのは、ラジオ局関係者である。「デュクシ」の効果音は、インベーダーゲームやYMOの電子音からインスパイアされた産物だというのだ。続けて、
「『デュクシ』という響きは、コンピューターで作られた効果音っぽいでしょう。ファミコンやアーケードゲームにも通じるものがあります。前年の1977年の日本は空前のスーパーカーブームで、小学生はスーパーカーのエンジン音を真似たり、あるいは消しゴムに夢中になっていた。『デュクシ』の戦闘ごっこが始まるのは、スーパーカーブームの後です」
思い起こせば、若者はもちろん、小学生でも度肝を抜かれたYMOの「ライディーン」、男児は坂本龍一でも細野晴臣でもなく、「テッテケテッテケ…」と高橋幸宏のドラムとテクノ音をこぞって真似していた。ちなみに「機動戦士ガンダム」の放映開始は、インベーダーゲームとYMO誕生日の翌年、1979年だ。やはり1978年から79年頃なのだ、男児たちが一斉に「デュクシ」と言い出したのは。
YMOの音楽には馬の駆け足など、様々な効果音が隠れている。アジア人特有のリズム感と音遊びに目覚めさせてくれたのが、高橋のドラムだった。
その急死の報を聞き、やはり「デュクシ」の生みの親は彼だったのだと、ここに宣言したい。