テリー 小室さんとの初対面ってどんな感じだったんですか。
KOO ご挨拶に行ったのは小室さんのスタジオだったんですけど、もう衝撃的でしたね。それまでは「アンダーグラウンドこそが格好いいんだ」って思ってたんですけど、シンセ(サイザー)が何台もあったり、何千万もする機材があったりして、「何だこの世界は!」っていう。
テリー それまでの価値観が一気に吹っ飛んだ。
KOO はい。それで「すみません、明日も見学に来ていいですか」って小室さんに言って、そこから毎日、半年以上通い続けました。
テリー 行って何するんですか。
KOO 別に何をするわけじゃないんですけど、ずっと小室さんのそばにいて、アルバム制作を手伝ったり、そのうち一緒にロンドンまで行くようになったり。それで何年かずっと小室さんのそばにいさせてもらって、trfに至るというところですね。
テリー そもそもDJを始めたきっかけは何だったんですか。
KOO 僕はずっと沢田研二さんが好きで、ミュージシャンになりたくてロックバンドでギターを弾いていたんですよ。でも、なかなかデビューできなくて、いったんその夢を諦めて、専門学校に行くんですね。
テリー 音楽系の学校じゃなくて、神田外語学院ですよね。
KOO ええ。でも、その専門学校時代にディスコが大好きになって、通うようになったんですよ。
テリー それは何でだったんですか。
KOO 僕、柏日体高校(現在の日本体育大学柏高校)っていう体育会系の学校で3年間ラグビー部で、それまでディスコなんか行ったことなかったんですよ。でも、一度行ったらいきなりタガが外れてしまったんですね。
テリー もともと音楽好きですもんね。
KOO それで専門学校の時のサークルが、学園祭の時にディスコみたいなことをやっていて、「ちょっと俺にもDJやらせてよ」って言ったんですよ。それで「さあ、次の曲はクール&ギャングのセレブレーション!」みたいにやったら意外にイケたんですね。いつもディスコでDJがしゃべってるのをずっと聞いてたから、「うまいじゃん」って言われたんです。
テリー ああ、なるほど。
KOO それで、ディスコの見習いになったという感じです。
テリー 見習いってバイトみたいなもの?
KOO 見習いは当時、無給ですね。落語家さんの前座、二つ目、真打みたいな感じで、DJにも見習い、セカンド、チーフっていうのがあるんですね。それこそ見習いは先輩から「ラーメン買ってこい」とか言われるんですけど、僕、日体大柏のラグビー部でしたから、そういうの得意だったんですよ。
テリー 縦社会に慣れてたんだ。
KOO 他のどの見習いより早くおいしいラーメンを買ってこれたんです(笑)。それもあって半年ぐらいでセカンドに上がって、19の時にはチーフDJになってました。
テリー チーフになると相当稼げるんですか。
KOO 40年前で月12万円ぐらいです。当時で言うと大学の新卒の初任給ぐらいですよ。
テリー 十分ですよね。
KOO で、そのうちヒット曲なんかをディスコでかけられるようにアレンジする「ダンスミックス」を制作するようになるんです。それがdjhonda君たちと組んだ「The JG’s(ザ ジェイジーズ)」っていうチームだったんですけど。それがけっこう評判になって、久保田利伸さん、早見優ちゃん、岩崎良美さんとか、そういう人たちの曲をミックスする仕事ができるようになるんですね。