●ゲスト:DJ KOO(でぃーじぇい・こー) 1961年、東京都生まれ。専門学校時代に新宿のディスコ「カンタベリー・ハウス」などでDJを務め、1986年、リミックス・ユニット「THE JG’s」を本田勝裕(dj honda)らと結成、リミックスやプロデュースを手がける。1992年、小室哲哉プロデュースの「trf」に参加し、1993年にシングル「GOING 2 DANCE/OPEN YOUR MIND」でデビュー。その後、「EZ DO DANCE」「寒い夜だから…」「BOYMEETS GIRL」など多くのヒット曲を発表。近年はタレントとしてバラエティー番組でも活躍。2018年、公式YouTubeチャンネル「KOOTUBE」開設。2022年、「あと10歳若くなる! DJ KOO流 心・体・脳の整え方」(PHP)発売。2月25日、『TRF 30th Anniversary Live「THANXXX!!!Live & Party 2023~」』がZepp Hanedaにて開催。
数多くのヒットを飛ばしたTRFのメンバーとして1993年にデビューしたDJKOO。最近ではその明るいキャラクターで、バラエティー番組にも引っ張りだこだ。一緒に「全国高等学校ダンス部選手権」で審査員を務めるなど何かと縁のある2人がTRFデビュー30周年を語り合った。
テリー もうTRF(ティーアールエフ)(初期の表記はtrf)はデビュー30周年ですか!
KOO はい、おかげさまで。2月25日に30周年記念ライブもあるんですよ。
テリー 僕、全然知らなかったんですけど、最初は5人グループじゃなかったんですね。
KOO そうですね。もともとは11人ぐらいの集まりで。3枚目の「愛がもう少し欲しいよ」っていう曲からシングル3枚をほぼ同時に発売することになって、「そのジャケット写真を撮ります」っていう時に集まったのが今の5人なんです。
テリー 何でその5人が選ばれたんですか。
KOO 小室(哲哉)さんの「あんまり人数が多いと覚えられない」っていう意向とか、2ndシングルの「EZ DO DANCE」がヒットしたおかげでちょっと状況が変わったから「ここからはメンバーを固めてちゃんとグループとして活動しよう」っていうことになったらしいですけど、僕らはそういうのは全然知らされてなかったので、「何かこれから5人でやるらしいよ」ぐらいの感じでしたね。
テリー まだちょっと他人事みたいな。
KOO だから、当時クラブツアーをやってたんですけど、ダンサーの3人はまだダンスの先生としての仕事があったので、都合がつかない時は別のダンサーがツアーにいることもありましたね。固定メンバーみたいな意識は5枚目シングルの「寒い夜だから…」の頃でもなかったです。
テリー へぇ。もうその時はこっちは完全に大スターと思って見てましたけど。KOOさんはどんな経緯でTRFに参加することになるんですか。
KOO 小室さんが「TM NETWORK(ティーエムネットワーク)」と並行してソロ活動をやることになって、当時ロンドンで流行っていたレイヴというイベントを「横浜ベイサイドクラブ」というところでやろうとしていたんですね。そのイベントにDJとダンサーとボーカルがいるというので僕らが集められたんですよ。
テリー ああ、最初はただのイベントの出演者なんだ。
KOO 僕はその横浜ベイサイドクラブにDJの仲間がいて、「KOOさんどうですか、やります?」と声をかけられたので、「じゃあ、やらせて」と。なので、その時、小室さんは僕のことを知らないんですよ。
テリー 当時のKOOさんはどういう感じだったんですか。
KOO 僕はバブルが弾けて、DJの仕事がメチャメチャ減ってしまって、DJになってから初めてバイトを始めた頃ですね。28歳ぐらいの時です。
テリー バイトは何をやったんですか?
KOO 清掃業です。ビルの窓を拭いたり、東京競馬場の電光掲示板を掃除したりもしていたので、その時はもう音楽をやってる人の手じゃなかったんですよ。けっこう青タンを作ったり、ガサガサで。だから、小室さんに初めてご挨拶に行った時はちょっと手を隠して、「よろしくお願いします」っていう感じでしたね。