東電はタンク設置直後から、処理水を敷地に隣接する海洋に放出する計画を立ててきた。一方で国の原子力規制委員会が慎重姿勢を示したり、福島県沿岸の漁業関係者を中心に風評被害を懸念する声が絶えなかった。そのために計画は延期されてきたのである。
ところが21年4月、当時の菅義偉総理の下で政府は2年後をめどに海洋放出を認めると発表。後を引き継いだ岸田文雄総理も今年の3月3日、参院予算委員会で、処理水の海洋放出開始時期について「今年の春から夏を見込むことに変更はない」と断言した。
これに漁業関係者は反発をしている。そもそも東電が15年に当時の廣瀬直己社長名で、福島県漁連に対して関係者の理解なしには、いかなる処理水処分もしない旨を文書で約束していたからだ。
ちなみにこのALPSを通した処理水には、ただ1種類だけ技術的に除去不可能な放射性物質が残されている。それはトリチウムだ。ただし、トリチウムが発する放射線のエネルギーは紙1枚も通せないほど弱いため、人体への影響はほとんどない。実は平時の全国各地の原発でも運転に伴ってトリチウムは発生し、近傍の海洋に排出されてきた。
科学的には問題はないとはいえ、事故を起こした福島第一原発から発生するものなので、一般的には印象が悪い。これが風評被害の本質だ。このため一旦放出が始まれば、福島県だけでなく隣接各県の漁業関係者からも風評被害の懸念は強くなる。
もっとも処理水の海洋放出に当たっては、仮に漁業関係者と政府・東電とが放出に合意したとしても、大きな課題があることは意外と知られていない。
それは人体への影響云々ではなく、海洋放出の作業見通しである。
そもそも平時の原発では、内閣府の旧・原子力安全委員会が定めた指針により、各原発の年間の放射性物質の放出量の努力目標として「放出管理目標値」がある。努力目標とはいえ、事実上の放出上限である。
震災前の福島第一原発では1~6号機の合計でこの目標値が総放射線量で「22兆ベクレル」と定められていた。
しかし、福島第一原発の処理水に含まれるトリチウムの推定総放射線量は、約2年前の21年4月1日時点で約780兆ベクレル。つまり目標値に従えば、単純計算で放出完了までに35年以上を要する。
震災後に状況が変わったことを理由に、福島第一原発の目標値22兆ベクレルは適用外となっているとはいえ、いまだ新しい目標値は定まっていない。
処理水の放出を急ぐあまり、これを大幅に引き上げれば、それこそ泥縄対応の批判は免れ得ない。漁業関係者はおろか、福島県や近隣各県の一般住民までを巻き込んで反発を招く恐れがあるのだ。
ジャーナリスト・村上和巳