80年代後半、バイリンギャルとしてCNNのキャスターを務める一方、OLに扮したテレビCMの「しば漬け、食べた~い!」で一躍、人気者になったのが山口美江さんだ。
しかし、激太り、激やせ騒動に始まり、96年4月には精神的不安により大量の睡眠薬を飲んで昏睡状態に陥ったとして、芸能マスコミが一斉に「自死未遂」と報じたこともあった。
96年9月20日には本人不在のまま、所属事務所社長が記者会見を開き、引退を発表。社長によれば、デビュー当時は160センチ、46キロだった彼女は、仕事によるストレスもあり、95年秋頃から体重が増加した。
「本人は体重を減らすため、成人女性に必要な2500キロカロリーを1000キロカロリーに抑え、さらに動物性たんぱく質も一切取らずに、毎日2時間の水泳をするという、過激なダイエットを続けました。結果、体調不良で入院。引退を余儀なくされることになりました」
ただ、昏睡状態に陥ったのは睡眠薬の服用によるものではなく、鎮痛剤だったとして、自殺未遂は全面否定した。
とはいえ、本人不在とあって、かえって疑惑が深まる会見となってしまったのである。
筆者がそんな山口さんを、彼女が経営する横浜の輸入雑貨店「グリーンハウス」で取材したのは、翌97年冬だった。芸能界を引退後の97年7月、横浜・中華街の一角に、3坪ほどの店をオープン。一人で店を切り盛りしていた。
突然、訪問した筆者に対し「お店の宣伝になるなら」と取材に応じてくれたのだ。聞けば、祖父の代から貿易会社を経営していたこともあって、「ゆくゆくは店を出してみたかった」というのだが、芸能界引退の理由は、
「とにかく神経が過敏になってしまって。太った、痩せたで、すぐ精神不安定と書かれるし、料金所で車に追突されて頸椎を痛めて病院へ通えば、自死未遂で入院したと書かれるし(笑)。だから、私は向いていないのかなと。(芸能界には)未練もないし、復帰したい気持ちもありません。今は父と2人暮らしだけど、快適だから結婚願望はないし、浮いた話も全然ありませんよ」
そう笑顔で語ってくれたのである。
ところが、そんな取材から15年後。テレビのニュースで急死を知ったのは、12年3月のことだった。彼女は認知症の父親を介護し、06年に看取ってからは2匹の犬と暮らしていたというが、同年2月から動悸やめまいなどを訴え、横浜市内の病院に通院。3月8日午前、親族に発見された時は、すでに息絶えていたという。まだ51歳だった。
生涯独身を貫いた山口さん。一人娘が認知症の父を看取り、最後は孤独死するという人生の終焉に、現代社会の闇を見る思いがした。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。