今年5月22日をもって「キンプリ」脱退を発表している平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の動向を受け、最近やたらと目立つのが「辞めジャニ」に関する記事だ。
「好きな『辞めジャニ』ランキング 長瀬智也、中居正広の超人気者を上回った1位は?」(女性自身)、「草なぎ剛だけじゃない!メンバー全員で退所した辞めジャニ『7ORDER』の逆襲も始まっている」(日刊ゲンダイ)等々…。チラッと目にしただけだが、なかなかどうして面白くまとめられていた。
そんな中、辞めジャニの一人、元KAT‐TUNの赤西仁が1月23日、驚きの報告をしたことが大きな話題になった。昨年10月末にジャニーズ事務所副社長を辞任、退社した滝沢秀明と酒を酌み交わしたとして、「やっとタッキーに会った。オレがジャニーズにいた頃の、まるであの時にトリップした感じの不思議な時間。まぁ色々話しました」と報告したのだ。
赤西がジャニーズ事務所を退社したのは、14年2月末。しかし、火種はその8年前、06年の芸能活動休止宣言から始まっていたと考えて間違いないだろう。
赤西が突然「語学留学したい」として、ジャニーズ事務所地下1階のスタジオで緊急記者会見に臨んだのは、同年10月13日夜9時のことだ。
冒頭、「まず、この騒ぎを突然起こしたことに関してお詫びいたします」と深々と頭を下げて始まった会見で赤西は、「17、18歳ごろから語学に興味があり、留学したいと考えていた」として、「(時期は)半年と言ってあるのですが、状況によってはさらに伸ばすと思います。自分の思い描いているものを吸収できるまでは、ということですね」と、実質、無期限での活動休止を示唆したのだ。
しかし、休止理由を語学留学とするわりには、留学先はおろか、何語を勉強するのかについても語られることなく、ただ、「自分のやりたいものが掴めたら戻ってくる」「引退や脱退は本当に頭にないです」という曖昧なコメントに終始。額面通りには受け取れない何らかの事情がある、という印象はぬぐえなかった。
そんなこともあり、原因をめぐって、KAT‐TUNメンバーの亀梨和也との確執説や、当時交際が噂されていたタレントの上原多香子の所属事務所が、ジャニーズ事務所の宿敵だったため、事務所に交際を反対されて逆ギレした、等々の噂が飛び交ったものだ。
結局、米ロサンゼルスに留学した赤西は、翌年に帰国。メンバーとともに記者会見し、現役復帰を宣言した。しかし、やはり、10年7月には「方向性の違い」を理由に脱退。歌手・俳優としてソロ活動をスタートさせることになった。
06年の活動休止会見には途中からメンバーの中丸雄一と田口淳之介が合流、「赤西君にとってKAT‐TUNとは」と聞かれ「KAT‐TUNはKAT‐TUNですね」と淡々と答える赤西に、中丸が「お前もうちょっとマシなこと言えよ」と突っ込みを入れていたことを憶えている。赤西にとって、KAT‐TUNからの脱退は、いわば必然の成り行きだったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。