1982年から始まった人気番組タモリ倶楽部が、3月31日深夜の放送をもって終了した。
ニッチなネタを掘り下げていく内容は、トレンドを追いかける他の番組とは異なり、ゴーイングマイウェイ的な雰囲気を持っていた。
それにしても40年以上も続いたのだから、多くの視聴者に支持されていたのだろう。同時期にはお昼の「笑っていいとも!」も続いていたのだから、タモリの人気は凄かった。
「タモリ倶楽部」が始まって5年ほど経った頃だった。福岡・博多の知人から、
「タモリが都内でうどん屋を開いたようですよ」
という情報が入ってきた。博多はタモリの出身地であり、博多のうどんが好きであると公言していたので、驚きはなかった。博多ラーメンが有名であり、全国にも波及しているが、博多っ子に言わせれば断然、うどんである。
「博多が日本のうどんの発祥の地であり、博多っ子にとって、うどんはソウルフードです。博多ラーメンは後発のもので、うどんにごぼ天(ごぼうの天ぷら)を乗せて食べるのが習慣になっています」(前出の知人)
ささがきごぼうを天ぷらにしたのがごぼ天であるが、博多っ子のごぼ天愛は強く、80年代後半の都内には存在していなかったことを嘆いていたものである。讃岐うどんはコシが魅力なのと比較して、博多うどんのコシはそれほどでもないが、優しい麺で「おやつ」のような感覚であり、安かった。
タモリのうどん屋は旧テレビ朝日社屋の玄関を背にして、右側の首都高3号線方向に数十メートル行ったところにある、6つほどのカウンター席しかない小さなお店だった。店名は忘れてしまったが、カウンターの中に30歳前後の若い職人がいるだけで、タモリの店であることの宣伝は全くなかった。繁盛しているというような感じではなく、ポツリポツリと客が入ってくる。
私は何度か偵察の意味を兼ねて、店へ通うようになった。タモリが店に来るかもしれないと思っていたが、そんなこともないまま、時が過ぎていった。店の登記を上げて調べたかったが、なんという会社が経営しているのか、全くヒントをつかむことができない。
「ここはタモリさんのお店ですか」
と聞きたかったが、そうすると警戒されてしまうので、我慢していた。
ある日の昼下がり、私が店に行くと先客はフサフサの髪の、40代とおぼしき小柄な男性が一人だけ。どうやら今日も空振りのようだった。いつものごぼ天を注文して、カウンターでどうしようかと思案する。ごぼ天が目の前の置かれて食べ始めると、先客が出ていって店内には私一人だけが残された。そこで意を決して、職人に話しかけた。
「なんかウワサによると、タモリさんが出したお店だと耳にしましたが、本当ですか」
「よく知っていますね。本当ですよ」
笑いながら、職人はあっさり認めたのである。
「では、タモリさんが食べに来ることもあるんですか」
「来るもなにも…さっきもいたじゃないですか」
ケラケラと笑う。
「はぁ?」
「お客さんが入ってきた時に、そこに座っていたでしょう」
「あの人が…!?」
てっきり整髪料で固めた髪型がタモリだと思い込んでいたのが、失敗だったのだ。結局、お店は1年ほどで閉店してしまい「幻のうどん屋」と伝説になったらしい。
(深山渓)