侍ジャパンをWBCで世界一に導いた栗山英樹監督が、自宅のある北海道栗山町に凱旋帰郷したのは、3月28日夜のことである。2日後の30日には、トレードマークの自家用軽トラックを自ら運転し、ジャージーに長靴といういつもの気さくな姿で、栗山町役場前の特設ステージに笑顔で登壇。詰めかけた200人以上もの町民らから熱い祝福を受けた。
実は今、栗山監督ゆかりの栗山町で「友愛ファーム」なる小規模宿泊施設の建設が、今年7月のオープンに向けて進められている。施主は、あの鳩山由紀夫元総理。建設予定地となっている同町鳩山地区の住民によれば、昨年4月9日に行われた地鎮祭には町長ら約30人の関係者が出席し、鳩山氏は「恩返しをしたかった」などと挨拶したという。
栗山町鳩山地区は、鳩山氏の曽祖父(和夫氏)が国有地の払い下げを受け、明治時代に農場を開いた、鳩山家ゆかりの地。鳩山氏が政治家を目指して初めて臨んだ86年の衆院選では、この栗山町を含む旧北海道4区から立候補して、初当選を果たしている。
だが、栗山監督に対する栗山町民の熱烈歓迎ぶりとは対照的に、「地域住民と国内外の人々との交流の場」とのフレコミで建設が進められている友愛ファームと鳩山氏に対しては、なんとも冷ややかでドッチラケな視線が向けられているのだ。
86年の衆院選当時、栗山町で鳩山由紀夫後援会の幹部を務めていた住民のひとりは、
「鳩山さんが栗山町に縁があるといっても、当時の北海道4区全体から見れば、所詮は落下傘候補にすぎなかった。だから我々も、鳩山家4代目のボンボンを初当選させるべく、開墾農場のあった鳩山地区を拠点に、みなが身を粉にして選挙戦を戦ったのです」
ところが、96年に小選挙区制が導入され、栗山町が鳩山氏の選挙区から外れるや、鳩山氏は栗山町に姿を現さなくなってしまったという。
「この豹変ぶりを見て、かつての支持者の中には『世話になっておきながら、用なしになったらコレだわ』『寂しい限りだべさ』などと恨み節を口にする者もいましたね。それを今になって『恩返し』と言われてもねぇ。ハッキリ言って、友愛ファームと鳩山さんに対する町民の反応は『ドッチラケ』ですよ」(前出・元後援会幹部)
栗山監督と鳩山元総理。まさに「生き方と人間性の差が出た」ということだろう。