4月3日からNHK BSプレミアムで朝ドラ「あまちゃん」の再放送が始まった。2015年にも再放送されているから、今回は再々放送というが正確なのかもしれない。
「あまちゃん」は2013年春から秋まで放送された。東日本大震災で大きな被害を受けた三陸を舞台に繰り広げられたドラマであり、小泉今日子や能年玲奈、宮本信子、薬師丸ひろ子などが出演。都会から三陸の実家に引っ越してきた小泉と能年の親子が海女を目指したり、あるいは友人とアイドルを目指したりする物語で、地域の特色を汲み上げていた。
ドラマの舞台になったのは、岩手県三陸沿岸北部の久慈市である。青森県八戸市とは約50キロ離れ、南の宮古市とは90キロ離れている。宮古と久慈を結ぶ鉄道が、第三セクター方式の北リアス線と呼ばれていた。
ここで、ドラマ放送ではわからなかった「本当の話」を公開しよう。
久慈には観光資源がそれほどなかったが、市内から車で20分ほど南へ行くと、小袖集落がある。戦時中は男手がなかったので、それに変わる働きをするため、ここで海女さんが誕生した。それを観光目的で「北限の海女」と名付け、観光用のショーでウニを採るところを、市が音頭を取って観光客に見せていたのだ。
だが、あらかじめ採ってあったウニを入り江にバラ撒いておき、それを潜って採ってくるだけのこと。やがて飽きられてしまい、観光客の減少で開店休業状態に陥った。そこに19歳のニューフェイスMさんが加わったことで、NHKなどがこぞって取材に来たのが「あまちゃん」の発端と言えよう。
Mさんはその辺の芸能人よりはずっと華があり、美人だった。しかも地元・小袖の生まれ育ちで、祖母が実際に海女をやっていたから、正統な後継者だと認識されたのである。
Mさんは目立つことが嫌いで、当然のことながら、芸能界にも全く興味がない。地域振興の手助けになればと海女になったのであって、他の40代から50代の先輩海女さんの言いつけを守って、夏の間は潜っていた。
観光客はMさんを目当てにやってくるが、Mさんが休みの時はグッとその数が減る。これを面白くないと感じたのは、他の海女さんたちだった。Mさんは先輩海女さんからイジメられたことで、海女を辞めると言い出したのである。
「とにかくMさんが辞めたら観光の目玉がなくなるワケですから、何回か市が間に入って仲裁をしたのです。先輩海女さんたちは『イジメていない』の一点張りで、平行線を辿ってしまい、Mさんは海女を辞めて、久慈市内のミニ水族館で働くことになりました。その後、若い世代の海女の希望者を募集して、人数はなんとか確保していましたが、Mさんのような人気者は出てきません」(久慈市観光課元課長)
その後、東日本震災でミニ水族館は破壊されてしまい、市内中心部にある仮設の水族館で働いていている時に「あまちゃん」の放送が始まった。「あまちゃん」ではMさんや過去のことには全く触れていなかったが、こうしたトラブルがあったことは、あまり知られていないだろう。