あのカリスマシンガーの兄だという尾崎康弁護士が、4月から埼玉県弁護士会の会長に就いた。4月10日、さいたま市浦和区の埼玉弁護士会館で会見を開くと「権力の乱用に対し厳重に警戒し、市民に向けたサービスを充実させていく」と抱負を述べた。
尾崎豊の5歳上の兄であり、豊が音楽を始めるきっかけは、兄が使わなくなったクラッシックギターを手にしたこと。ある意味、豊は兄の影響を受けていたと言えるのだ。
尾崎弁護士について、旧知のN氏が言う。
「すごく思いやりがあるヤツで人格もしっかりしており、仲間内からは信用されていました。尾崎豊の兄であることは知っていましたが、ひけらかすこともしません」
早稲田大学法学部を卒業後、尾崎氏はいったん、裁判所事務官になった。数年後に司法試験を志したがなかなか合格せず、試験を受けるのをやめて学習塾の講師になった。87年12月には、豊が薬物容疑で戸塚署に逮捕されていたことが週刊誌にスッパ抜かれた。先のN氏が明かす。
「薬物漬けの豊のことを知った家族は『このままではダメになる』と相談したのが、高田馬場にある戸塚署の署長だったようです。父親は陸上自衛隊の防衛事務官で、署長の知人。兄貴も父親から相談を受けて、警察に頼むことにしたんです。だから警察は当初、マスコミには発表せず、秘密裡にコトを進めようとした。最後にはバレることになりますが…。親兄弟からすれば、なんとか薬物と手を切ってほしいという肉親の情でした。逮捕・起訴されて裁判は懲役1年6カ月、執行猶予3年でしたが、豊は家族が自分を救うために警察に連絡したことを理解して、兄貴との仲も悪くはなりませんでした。しかし、あんないい兄貴がいるのに、逮捕から4年後に26歳で亡くなるとは、親不孝者ですよ」
92年4月に豊が千住の民家の庭先で、傷だらけになって倒れていた時も、いち早く駆けつけたのは豊の妻と、この兄であった。それだけ兄弟の絆は強かったのだろうし、豊は兄を頼りにしていたに違いない。
尾崎弁護士は弟の死をきっかけに再び司法試験を目指すことになり、都合8回ほどは失敗した後の94年に合格した。97年に埼玉弁護士会に登録。「子供の権利」に関心を持ち、少年事件や児童虐待事件などの弁護を担当してきた2004年から5年間は、弁護士が裁判官になる「弁護士任官制度」を利用して、横浜地裁や名古屋地裁で、民事事件の裁判官として勤務した。
豊が生きていれば、兄の弁護士会長就任を喜んでくれただろう。