4月25日は伝説のミュージシャン、尾崎豊の命日である。92年のこの日の朝に、自宅マンションから500メートルほど離れた東京・足立区千住の民家の庭先で、脱衣のままで転げ回っていた彼は、都立病院に救急車で運ばれた。駆けつけた妻や兄と一緒に、一旦は自宅マンションに戻るも、呼吸をしていないとして、再び病院へ搬送される。そこで死亡が確認されたのだ。26歳での若すぎる死。ファンは彼の才能を惜しみ、葬儀が行われた文京区の護国寺前には、約4万人もの参列者が詰めかけた。
「あの日は雨だったので、若い人たちの傘の波が護国寺前の音羽通りを埋め尽くしていたのを、今でもはっきりと覚えています。誰もがカリスマの死を悼んで暗い顔をしていたのが印象的でした」(スポーツ紙デスク)
若者の代弁者、反権力の星と称された尾崎の影響力は、今なお色あせることなく続いている。命日には墓石がある埼玉県の狭山湖畔霊園に、ファンが集まるのが恒例となっている。彼の墓石は長さ3メートル以上もあり、霊園では目立つ存在。ファンが持ってきたカセットから彼の歌声が流れ、ファンが口ずさむのもいつもの光景である。
「生きていれば57歳になりますが、彼の作った音楽はちっとも古くなく、今でも若者たちの支持を得ているのは凄いことだと思います。尾崎のことを知らなかったという若い世代から『ファンクラブはないんですか』と尋ねられることも少なくありません。今はクラブは中止状態になっていますが、皆の心の中には尾崎が生きているのだと、私は感じています」
神奈川県から毎年、墓参に訪れるファンは、そう語るのだ。
尾崎の死亡時刻の午後0時6分には、全員が墓石に向かって黙祷をするのも恒例になっている。その後、コアなファンは霊園から30分ほど移動して、尾崎家のお墓参りをすることになっている。
「実は狭山湖畔霊園には、尾崎の遺骨はないんです。近藤真彦の母親の遺骨が何者かに盗まれる事件が起こるなど、有名人の遺骨の盗難事件を危惧した家族が、尾崎の母親が眠るお墓に埋葬したと聞いています」(前出・墓参に訪れるファン)
ある年の命日にその墓地へと行ってみると、花が生けられていた。おそらくは、遺族が命日の前にお参りに来ていたのだろう。
尾崎はこれからも若者たちのカリスマとして、その伝説は続いていく。それだけの才能に溢れた逸材だったのだ。