「闘将」「燃える男」と呼ばれ、瞬間湯沸かし器がごとく審判や相手チームの監督に詰め寄るシーンもあった、星野仙一氏。実は温情派としても知られるのだが、中日監督就任1年目の87年を振り返ったのは、野球解説者の掛布雅之氏である。
掛布氏がYouTubeチャンネル〈掛布雅之の憧球【公式】〉で明かしたのは、87年のシーズン終盤、阪神と中日の激突だった。
「小松君が最多勝かかってたんですよ。(中日は)鈴木孝政さんが先発して、4回で孝政さんを降ろしてるの。5回から小松君が2イングか3イニング投げて、それでチームが逆転して、小松君に最多勝を獲らせたわけ。消化ゲームですよ。そうしたら星野さんの言葉が『なんで小松に最多勝獲らせてまずいんだ。ここまで盛り上げてくれたのは小松だぞ。その小松に最多勝を監督として獲らせるのは当たり前のことじゃないか』って」
星野監督の1年目は巨人の独走を許し、8ゲーム差をつけられてリーグ2位。しかし2年目の88年、小松は12勝を挙げて、星野監督初のリーグ制覇に貢献した。
西武との日本シリーズは4勝1敗で敗れはしたものの、中日唯一の白星となった第2戦の先発投手は小松だった。6回を3点に抑え、リリーフに繋いだのである。
星野監督の温情采配が結実した、小松氏の踏ん張りだったかもしれない。
(所ひで/ユーチューブライター)