1974年は巨人軍にとって劇的な年であった。65年から続いていたV9に終止符が打たれ、川上哲治監督が辞任。ミスターこと長嶋茂雄氏が森正彦氏とともに引退、長嶋氏の「我が巨人軍は永久に不滅です!」はあまりにも有名な言葉で、ファンの悲鳴とため息に溢れる年ではなかっただろうか。
一方、巨人の優勝を阻んだ中日ドラゴンズにとっては有意義な年になったであろう。中でも故・星野仙一氏にとって、74年は15勝9敗10セーブの活躍で、セ・リーグ初となる最多セーブ投手に輝き、ピッチャーにとって最高の栄誉である沢村栄治賞も初受賞している。川上監督と長嶋氏に引導を渡したのは星野氏と言っても過言ではないかもしれない。
そんな74年の星野氏を「燃えに燃えた年でした」と懐かしく振り返る人がいた。中日では星野氏の1年後輩にあたる元プロ野球選手、谷沢健一氏だ。YouTubeチャンネル〈谷沢健一〉、11月5日に〈【中日ドラゴンズ】星野仙一さんとの思い出・秘話〉とタイトルをつけた投稿回の中で、星野氏はローテーションを崩してでも先の巨人戦を見越して投げていくことに徹していたようで、「巨人に勝つことに使命感を帯びていた」と谷沢氏は振り返っている。
「燃える男」と聞けば、頭に浮かぶのは星野氏と元プロレスラーのアントニオ猪木氏くらいのものではないか?プロレスラーと肩を並べる星野氏の熱い闘魂振りは圧巻であった。
当時の心境を星野氏に訊ねることが今となってはできないのは残念だが、谷沢氏のように同じ時代を戦った選手から話が聞けるのは嬉しいことだ。谷沢氏のYouTubeには今後も期待を寄せたい。
(ユーチューブライター・所ひで)