80年代前半、空前の漫才ブームの中でも飛び抜けた存在が、ツービートのビートたけしだった。その強烈な磁力に引き寄せられるように、次々と男たちが集ってきた。たけし軍団は結成40周年を迎え、この3月に開催した記念公演に初期メンバー10人が集結。今年で全員が還暦を迎える、いわゆる「1軍」の弟子入りヒストリーを完全版でお届けしよう。
80年10月にスタートした「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)で、ビートたけしは火曜日のレギュラーを務めていた。彼に会いたい一心から「お笑い君こそスターだ!」にオスカル・メスカルという漫才コンビで出演したのは、そのまんま東(芸名はたけしが全員の命名をした当時の表記、以下同)だった。
ただし初回出演が水曜日となってしまったため、たけしと共演するには4日間勝ち抜かなければならなかったが、見事にこの関門をクリア。最終日に楽屋で弟子入り志願し、晴れて81年1月から付き人、第1号の弟子となった。
その後、大森うたえもんとツーツーレロレロを組んだ。東がたけしの運転手を務める一方、大森は盟友・高田文夫の世話役を命じられる。そのため、大森が正式に軍団メンバーとなるのはのちの話だ。
東は1年余り、1人で師匠の下に付いていたが、82年1月28日深夜に事態が一変する。
伝説のラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」の放送終了後の午前3時、ニッポン放送から出てきて出待ちのファンたちにサインをしながら、たけしが東に囁いた。
「東、お前、右前方、15度前方見てみろ。あいつだけをマークしろ」
見ると、十数メートル離れた木の陰にキラリと光る眼があった。
「あいつが駆けてきたら、お前、盾になれよ。あいつは刺すぞ」
すると実際に男が駆けよってきた。そして、いきなり土下座をしたのである。
松尾伴内が述懐する。
「高校3年生の3学期、期末テストが終わった夜でした。『弟子にしてください!』って言って、顔を上げたら目の前にいたのは東さんだった(笑)」
「すいません、ちょっと間違いました」と断り、松尾はたけしの前に歩み寄った。いざ本人を前にすると土下座ができず、立ったまま頭を下げて「弟子にしてください」と改めて懇願した。
たけしは「これから新宿の居酒屋に飲み行くからよ。おい東、こいつをタクシーで連れてきてやれ」と指示を出した。しかし小声で東に「あれ、無理だからって言っとけよ」と言うのが松尾にも漏れ聞こえた。
居酒屋「呑者家」に向かう車中、松尾が「なんか、すいません‥‥」と頭を下げると、なんと東の返答は「一緒に頑張ろうね」。東は「自分より後輩が入ってくると楽になるから」と偽らざる本音を吐露したという。
いざ居酒屋で対面して、たけしと松尾が交わした最初の会話はこうだ。
「とりあえず座れよ。お前、女房とか子供に言ってきたか?」
「いや、まだ高校3年生なんです」
ちなみに、この席でたけしは「そろそろ野球やりたいんだ」と口にしていたという。