元康さんは身長186センチ、体重96キロ。中学時代から卓球を続け、病気もしたことのない「健康優良児」だった。ところが、入社以来の激務で体重がたちまち88キロに落ちてしまった。
「親に心配をかけまいと、本人は『軽くなっていい』と言ってましたが、体調不良は亡くなる3週間前に、兵庫県明石市で行われた同期のバーベキューパーティでわかりました。息子はタッパもあったので、酒は強かった。なのに、パーティで食材を分けてやった隣のグループの人にチューハイを一気飲みさせられると、急性アルコール中毒で入院してしまったのです」
亡くなった8月11日は家族そろって、先祖のお墓を掃除に出かける日だった。
「家内が3階にある息子を起こしに行くと、ベッドでうつ伏せになったまま、目を閉じていた。119番し、救急車が到着するまで救急隊員に指示されたとおり、あおむけにして人工呼吸しましたが、息子は蘇生しませんでした。医師の診断は急性心不全。心不全というと、非常に苦しむ。でも、息子の場合、柔道の絞め技で突然意識を失う『落とし』ってあるでしょ。あんな感じで、苦しむことなくこと切れてしまったのがせめてもの救いでした‥‥。あれもしたい、これもしたい。これからやれることが無限に広がっていたはずです。息子の気持ちを思うと、本当につらくなります」
そんな了さんら遺族の気持ちを逆なでしたのが、元康さんの通夜の際、平辰(たいらたつ)社長が弔電として送ってきたお悔みの言葉だった。
〈天命とは申せ、これからの人生が始まろうとしているのに、今日はお別れをしなくてはならぬ宿命に、涙尽きるまで流れる涙を止めることができません。辛いお別れですが、どうか早く生まれ変わりになられ、この世にかえられることをお祈り申し上げ、謹んで西の空を仰ぎ、合掌し、お見送りをいたします〉
「天命とは申せ──」。この、自己の責任を逃れようと吐いた言葉に了さんの心は凍りついた。
「最低賃金で働かされ、あげくの果てに過労死するのが息子の『宿命』やったというんか。ハラワタが煮えくり返るようでした」
遺族は会社を相手取って京都地裁に1億円の損害賠償訴訟を起こした。そして、京都地裁でも大阪高裁でも圧勝。ところが、会社側はさらに上告。昨年9月、最高裁は大庄の上告を退けたのだった。