テリー マリーさんは家族の中ではひとりだけハーフでしょう。兄姉とお父さんが違うっていうのは、いつ知ったの?
藤井 それが私、中学校に入学するぐらいまで全然気づかなかったんです。自分だけハーフなことにも、何の疑問もなくて。それぐらい違和感がなかったというか。
テリー お兄さんもお姉さんも急にパキスタンの人がお父さんになったわけだよね。
藤井 そうです。突然、日本語もしゃべれない人が。
テリー それに抵抗はなかったのかな。
藤井 あったかもしれないですけど、不満は聞いたことがないです。たぶん、ずっとお父さんがいなかったので、お父さんができてうれしかったんだと思いますね。
テリー そうか。お兄さんもお姉さんも偉いね。お母さんは当時何してたの?
藤井 確か宝石屋さんで働いてたと思います。
テリー じゃあ、それで子供2人を養ってたわけだ。お母さんも大変だったな。そういう家庭で、マリーさんはどんな子だったの?
藤井 今とあんまり変わらないです。大人としゃべるのが好きで、友達があんまりいなくて。ハーフだから学校ではちょっとからかわれたり。田舎の学校だったので。
テリー 横浜は全然、田舎じゃないよ。
藤井 でも、当時はハーフの子とかが珍しくて。しかも私、幼稚園をメキシコで過ごしてるんです。
テリー ええっ、なんか次々といろんな話題が出てくるな(笑)。何でメキシコに行ったの?
藤井 結婚した後、お父さんがトラックドライバーから転職して違う仕事をすることになって、家族全員で行くことになったんです。
テリー 何で急にそんなことになるの?
藤井 よくわからないですけど、お父さん頑張ったみたいです。
テリー そうか。幼稚園ってことは5歳ぐらいまで?
藤井 5歳か6歳ぐらいまでですね。
テリー 何かメキシコの記憶ってある?
藤井 覚えてるのは大変だった思い出ばっかりで、けっこう危ない目に遭うことが多かったですね。
テリー 危ないって?
藤井 私が通ってたところが幼稚園から中学校までエスカレーター式の、(当時の首相である)田中角栄さんが作った日本メキシコ学院という大きい学校だったんですよ。
テリー ということは日本人が多いんだ。
藤井 そうです、半分日本人で半分メキシコ人で。だから、お金持ちのおうちの子がすごく多くて、誘拐された子とかいました。
テリー わぁ、そんなに危険なんだ。マリーさんは大丈夫だったの?
藤井 うちはその中でも中ぐらいの家庭だったので。でも、誘拐されて結局帰ってこない子とかもいましたね。