これぞまさに昭和の香り漂うエンターテインメント! 往年の芸能記者の多くがそう思ったに違いないのが、2018年12月15日、都内のホテルで朝のワイドショー開始時間に合わせて始まった、松居一代の離婚発表会見である。
松居は2001年に船越英一郎と再婚。しかし、その後はたびたび不仲が伝えられ、16年初めに離婚に向けた話し合いがスタートした。1年後には穏便に離婚することで合意したものの、突如、松居が離婚には応じられないと通告。4月には「自死する!」「全てを暴露する!」として大騒動に発展した。船越が離婚調停申立書を裁判所に提出し、12月13日、東京家庭裁判所において、2回目となる調停が行われたのである。
と、ここまでは両者一歩も譲らず、裁判の長期化が予想されていた。だが、急転直下とはまさにこのこと。2人はこの調停で大方の予想を裏切り、正式に離婚することになったのである。
調停の際に、離婚成立の事実は「12月16日までは他言しない」との約束を交わしていたそうなのだが、翌14日の「スポニチ」がスクープ報道。船越の所属事務所ホリプロも「離婚成立」をFAXで発表したことで、松居いわく、
「ネットニュースで見て『ウソだろ!?』と。調停員を交えて、あれほど厳重にお約束したのに。もう腰が抜けるほどビックリしました。私がちゃんと皆様に、正しくお伝えさせていただきたい」
ということで急遽、会見を開くことになったというわけだ。
正式に離婚が成立したことについては、ガッツポーズを見せながら、
「たいへん嬉しく、喜ばしいです。本当にやりました。年内に人生の大掃除ができました」
12月13日の調停には船越も出席していたが、
「大嫌いですから、お目にかかってもいません。大っ嫌いです。(船越に)掛ける言葉は何ひとつありません」
この調停が不調に終わった場合は、裁判に持ち込む覚悟だったというが、
「いちばん大切なものは財産分与で、財産を守るという夢が叶った。財産分与はありません。自宅の建物の1/5の船越さんの持ち分を『私の好意で』買い取らせていただくという形になりました」
その口調はまるで、どこかの女性政治家にみられる当選挨拶のようだった。
ただ、あれだけこだわっていた「公の場での謝罪」は「赤の他人様になったので」ということで、突然不問に。会見中、実母に電話で離婚報告するパフォーマンスを演じると「お母ちゃん、離婚できてよかった。本当によかった…」と涙を流す場面もあり、いやはや、ここまでエンターテインメントに徹した昭和的風情の記者会見も久しぶりだなぁ、と驚いたのだった。
ちなみにこの日の松居は、黄色地に花柄のジャケット姿。調停では赤いシャネルのジャケットを着用していたが、強烈なインパクトとは裏腹に、会見終了後には記者たちの間から「なんだか痛々しいなぁ~」といった声も飛び交った「松居劇場」の終焉だったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。