くしくも今年は、NHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」でも、春風亭小朝が演じる光秀が登場。「日の本に王は2人いらぬ」と断じる信長に脅威を感じた光秀が朝廷のために立ち上がるという本能寺の変の動機を語っていたが‥‥。明智氏の目にはどう映っていたのか。
「明智像に限れば、新しさを狙っているようで、旧来どおりかなって感じでした。(7月に放送された)『歴史秘話ヒストリア』では(足利義昭やイエズス会牧師など)黒幕説を報じてましたが、大河の宣伝番組として盛り上げているだけで、どれも証拠不十分でしたね」
ただ、ドラマの中で黒田官兵衛親子が「黒田家存続のため」と語るセリフは、新鮮だったという。
「私は武将の『生存合理性』って言っているんですが、現代人には理解しにくい点であり、よく反論を受けるんですが、当時の一族の長にとっては、勝つか負けるかであり、正義がどちらにあるかなんて考えていないと思います。そういった論理が、ようやく表に出てきたかなって思いましたね」
戦国武将の決断の重さは、子の代の生存と繁栄に対する責任を果たそうという思いからも伝わってくる。光秀にしても、敗戦時の「明智残党狩り」を想定し、抜かりなく手配をしていた。現代にまで脈々と伝わる明智家の歴史からもうかがい知れる。
「光秀や秀満の子の子孫と伝承される家系は、全国各地に在住します。現在、10家族ほどで、『集まって話すなんて考えられなかった』と、口々に言いますね。明智姓に復姓しているのは、私のところぐらいです。明治になり、曽祖父が内務省に家系図や光秀の愛用した能の笛などの証拠品を添えて申請し、認められましたが、今も一子相伝にして語らない家系、先祖から伝わる文書を門外不出として公開しない家系もあります。400年以上も秘密を守らねばならないところに光秀子孫の重さを感じます」
現在の歴史学会では、“怨恨説”と“野望説”の両立によって動機論は決着したとされているが、今後、明智氏の新説が新たな議論を呼ぶことに期待を寄せる。
「私が日本歴史学会の会員であっても、私の主張が定説となるには50年、100年とかかるでしょうが、歴史学者の方々には、見落としている証拠をもう一度見てくれと言いたいですね。そして『惟任退治記』(惟任とは光秀が朝廷から賜った名字)は、秀吉が書かせたものであり、それが定説のもとになっていることに気づいてほしいと思っています」
先祖の謀叛人としての汚名がそそがれる日も近いかもしれない。