プロ野球における元祖スイッチヒッターといえば…そう、巨人V9戦士のひとりで、リードオフマンとして活躍した柴田勲氏だ。通算2018安打で名球会入りし、盗塁王に輝くこと6回(セ・リーグ記録)。20年間で築いた通算579盗塁は福本豊氏の1065、広瀬叔功氏の596に次ぐ歴代3位の記録である。
とはいえ、この柴田氏、法政二高時代はエースで鳴らし、2年生の夏、3年生の春と甲子園で連覇。3年生の夏は準決勝で敗退し、惜しくも3連覇は逃したが、投手として鳴り物入りで巨人入団となったわけである。
野球解説者・高橋慶彦氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャンネル〉に出演した柴田氏は6月19日、その入団の経緯を振り返った。当時はドラフト制度がなく、自由競争の時代だった。巨人の川上哲治監督は柴田家を訪れ、父親に言った。
「お父さん、息子さんは心配しなさんな。もしピッチャーがダメでも、バッターで必ず成功するから」
これに柴田氏は苦笑しきりで、
「おかしな勧誘だよね、自分はピッチャーでいこうと思ってるのにさ」
甲子園での連投が響いて右肩を傷めていた柴田氏は1962年、投手として開幕を迎えるも、わずか3試合の登板(0勝2敗)で、夏には野手転向を川上監督から言い渡された。長嶋茂雄、王貞治をバックに投げることを夢見てきた柴田氏だったが、肩の回復は見込めずに断念。これが幸いして翌63年にはいきなり107安打と43盗塁を記録した。その後、スイッチヒッターとして大成したのである。
1965年からの「V9」は柴田氏の活躍抜きに考えられないことであり、川上監督の慧眼には恐れ入るばかりなのである。
(所ひで/ユーチューブライター)