1912年にイギリスからアメリカのニューヨークへと向かう途中、氷河にぶつかって沈没し、乗客およそ1500人が命を奪われた、タイタニック号沈没事故。海底に眠るその残骸を見学する潜水艇ツアーの最中、アメリカ沿岸警備隊が潜水艇の司令船から、通信が途絶えたとの連絡を受けたのは、6月18日だった。
さっそくレーダー機能を備えたC-130機が、捜索に出動。翌19日にはカナダの対潜水艦戦用哨戒機が捜索に加わったが、5人を乗せた潜水艇は「破局的爆発」を起こしたとして、タイタニック号から500メートル離れた場所で、機体の破片が発見されている。もちろん乗員の生存は望むべくもない。
タイタニック号の残骸は、1985年にカナダのニューファンドランド島海岸から南に約600キロ離れた海底で発見され、その後、ユネスコ水中文化遺産に登録されたが、
「この沈没事故をめぐっては、出航直前の人事異動に始まり、沈没当日に救命ボートの訓練が中止になったり、氷山警告を何度も無視されたり、明らかに救命ボートが足りなかったりと、あまりにも謎が多い。積み荷の中に、大英博物館からニューヨークのメトロポリタン美術館へ送られる予定のミイラがあり、その呪いで船が沈んだのではないか、というまことしやかな伝説が今もなお、語り継がれているんです」(オカルト研究家)
この伝説に登場するミイラとは、イギリス人探検家がエジプトのルクソールで購入した、アメン・ラー神(エジプトの神々の主)に仕える巫女だったとされる。購入後、関係者の身に次々と災難が降りかかり、イギリスの大英博物館に収められた後も、警備員のほか、ミイラを撮影したカメラマンが不慮の死を遂げたことで、ニューヨークへと運ばれることになったという。
「とはいえ、これについてはタイタニック側にも記録がなく、のちに大英博物館も新聞紙上で『ミイラの棺』を積み込んだ事実はない、との声明を発表しています。ゆえにマニアの間では、ミイラを正規のルートで送れなかったバイヤーが、船に積んだ車のトランクに隠していた、という伝説が独り歩きし、それが時を超えて壮大な呪いの物語へと成長していった可能性があります」(前出・オカルト研究家)
20世紀最大の水難事故となったタイタニック号の悲劇。その残骸見学ツアーで起こった行方不明騒動も、これまた「ミイラの呪い」が発動されたものなのか──。
(ジョン・ドゥ)