東京・大手町に鎮座する、平安時代の武将・平将門の首を供養する石碑「将門塚」。その賽銭箱から現金4000円を盗んだとして、4月に無職の男が警視庁丸の内署に逮捕されている。
男は両面テープを先端に付けた針金を箱に入れ、紙幣を貼り付けるという古典的な手口で犯行に及んだものの、近くのビルに設置された防犯カメラに犯行の一部始終が映っていた。そのため、警備員の通報で現行犯逮捕されることに。取調べに対し、男は「金に困ってやったが、(逮捕されたのは)将門のバチが当たったんだと思う」と、うなだれたという。
確かにこの将門塚をめぐっては、この場所に庁舎を建てたようとした大蔵省の役人らが相次いで死亡したことで、いまだ怨霊伝説が根強いのは事実だ。オカルトライターが解説する。
「平将門は、太宰府で無念の死を遂げた菅原道真、さらに讃岐に流され亡くなった崇徳上皇とともに『日本三大怨霊』のひとつとして挙げられる怨霊。日本では古くから、その怨霊が荒ぶらないよう『御霊ごりょう信仰』として祀られ続けてきました。ところが大正時代に入り、関東大震災で大蔵省の省舎が崩壊。将門の首塚は庁舎の中庭にあったのですが、その場所も更地にし、その上に仮庁舎建設の計画が持ち上がったんです。しかし工事が進む中、時の大蔵大臣・早速整爾が謎の急死。さらには大蔵官僚や工事関係者ら14人も続々と不審な死を遂げたことで『将門の首塚を荒らした祟り』との噂が広がった。結局、仮庁舎は取り壊され、首塚は元どおりに復元され、再び祀られたという逸話が残されています」
それから20年が経過。敗戦を受けて、今度はGHQによる関連施設工事が始まり、再び首塚は撤去されることになった。すると重機が横転して、運転手が死亡。またもや将門の怨霊説が流れ、GHQの計画は白紙に戻ってしまったというのである。
「将門は乱を起こすものの、敵の矢が頭部を貫通し、あえなく戦死。その首は京都で晒されたといいます。ところが3日目に突然、将門の目がカッと見開き、白い光を放って東の方向へと飛び去ると、落ちたのが現在の場所だったとされます。目撃した人々は恐れおののき、ここに塚を建てて祀ったのが、この将門塚の由来だといわれています」(前出・オカルトライター)
今回逮捕された男は、そこに置かれた賽銭箱を狙った不届き者というわけだが、警察関係者も、
「よりによって将門塚を狙うとは、罰当たりというより、命をも恐れぬ所業としか言いようがない」
と呆れているという。
逮捕された男の身に今後、「何か」が起こることはあるのか──。
(ジョン・ドゥ)