アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、ワグネルの反乱軍がロシアの首都モスクワへ向け進軍を続けていた6月24日、クレムリン(ロシア大統領府)にいたはずのプーチン大統領が、郷里のサンクトペテルブルクに滞在していたと報じた。
同紙が7月3日までに伝えたところによれば、プーチン大統領は旧友で「プーチンの金庫番」の異名を持つ大富豪ユーリー・コワルチュク氏のヨットに乗り、毎年サンクトペテルブルクの祭りで催される花火大会の見物に興じていたという。
また、花火大会が行われた6月24日、大統領専用機がモスクワからサンクトペテルブルクに向かい、翌25日にはモスクワに戻ったとの情報が流れた。この同紙の報道を機に「プーチンは大統領専用機で移動したのではないか」との憶測も呼んだ。
だが一連の報道や憶測には、当初から疑問の声が上がっていたのも事実だ。ロシアや欧米の諜報活動に詳しい国際情報アナリストが指摘する。
「花火大会の一件は、ロシア独立系メディアの元編集長が『プーチン政権に近い関係者の話』として明かしたもの。そのため、政権サイドからリークされた情報ではないか、との疑念があったのです。また、ウクライナへの侵攻を開始して以降、プーチンは撃墜されることを恐れ、大統領専用機での移動を避けてきた。したがって、そのプーチンが専用機を使って花火見物に出かけたという憶測に、大きな疑問符がついていたのです」
ならばその時、プーチンはどこにいたのか。この点について国際情報アナリストは、欧米の諜報筋が入手した最新情報を、次のように明かすのだ。
「ワグネルが反乱を起こすことを知って震え上がったプーチンは、身の安全を図るためにモスクワを離れ、バルダイにある別荘の地下壕に身を潜めていた、というのが真相です。バルダイはモスクワとサンクトペテルブルクの中間地点にある都市で、プーチンは大統領専用の特別装甲列車でモスクワから移動した可能性が高い。実際にはヨットで花火見物どころか、反乱軍の影に怯えながら、秘密の地下壕で身を縮めていたということです」
大統領はクレムリンで執務にあたっている──。ペスコフ大統領報道官が即座に出した声明も含めて、全ては世界の目を欺くためのデマだったということだ。