「伊勢佐木町ブルース」などで一世を風靡したブルースの女王・青江三奈が、すい臓ガンのために54歳の若さでこの世を去ったのは、2000年7月2日である。通常であれば、芸能マスコミではその早すぎた死を悼み、彼女の人生を振り返る企画などが組まれるものだ。
ところが、生涯独身を貫いた、と思われていた彼女に入籍していた夫がおり、しかもその事実を彼女の親族が聞かされていなかっことが発覚。上を下への大騒ぎに発展したのである。
問題の「夫」花礼二氏は、青江の代表曲「国際線待合室」などを手掛けた作曲家で、青江の生みの親ともいうべき存在。彼女と17年間も「夫婦同然の生活」を送ってきたのだった。
しかし2人は結婚することなく、青江が花氏に手切れ金を支払う形で同棲生活を解消。20年近く音信不通の状態が続いたが、入院中の青江が花氏に連絡し、同氏が病床を訪ねる中、死を目前にした5月17日に「臨終婚」入籍を済ませたというのである。
7月7日に行われた葬儀の後、囲み取材に答えた花氏は、2月に青江から連絡があったことを明かした上で「もう長くないから、最期にきちっとけじめをつけたい。残された人生を有効に生きよう」と言われ、婚姻届に判を押したと説明。それまで未入籍だったのも「35年前に挙式した」際の写真を持参して報道陣に配布するなど、異例の会見となった。
そして、なんとこの入籍が、親族にとっては寝耳に水だったことで、葬儀場で実の姉が卒倒し、救急車で病院に運ばれるなど、葬儀場が騒然としたものである。
というのも、青江が残した遺産は東京・目黒区の自宅と都内に有するマンションなど、合わせて4億円とも言われた。入籍が事実なら、法定相続に従い分配され、配偶者である花氏はその4分の3を受け継ぐことになる。
会見で財産問題について聞かれた花氏は「今はそういう段階ではない」と明言を避けたものの、コトは億単位の遺産。親族としても「はい、わかりました」とはならない。
兄弟側が花氏に筆跡鑑定を要求するなど、すったもんだは半年以上続く。翌年5月、法定相続に近い形で花氏が兄弟側に現金を届けることで、ようやく合意したのである。
一周忌を終えた後、熱海市で生活を始めた花氏を訪ねると「ゆくゆくは遺品を整理して、記念館を作って展示したいと思っています」と笑顔を見せていた。
そんな花氏も2021年、自宅でひとり、旅立った。89歳だったという。それは青江の死から21年目の、夏の出来事だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。