篠塚和典といえば、広角打法と華麗な守備で、長嶋茂雄政権下の中心選手だ。現在、坂本勇人がつける背番号6は、元はといえば篠塚が現役時代に背負っていたものだ。
その事件が起きたのは、二度とも現役最後の1994年シーズンのことだった。最初の事件は、よみうりランドにある巨人の室内練習場で起きた。雨天で試合が中止になり、ナインは室内練習場で翌日の試合に備え、軽い調整で汗を流すことになっていた。
この室内練習場は、チーム関係者とマスコミ以外は立ち入り禁止となっている。だが時として、選手の家族が見学に訪れることがある。この日は、現在はタレントや声優などで活躍する、落合博満の長男・落合福嗣氏がいた。当時の福嗣君はまだ、小学校に上がったばかりだったが、その傍若無人な言動は普段から有名だった。
その傍若無人ぶりが、この練習場で炸裂した。福嗣君が練習中の篠塚を見つけるや、指をさしてこう絶叫したのだ。
「それはパパの番号だぞ。なんでお前が付けてるんだ」
確かにロッテ、中日時代を通じて落合の背番号は6。だがFA移籍してきたこの年の背番号は60だ。福嗣君はそれを見とがめて絶叫したわけだが、相手が子供だけに、篠塚も怒るわけにはいかない。周囲にいたナイン、篠塚、落合の間に微妙な空気が流れたのは言うまでもない。
この年、篠塚は引退を決意したシーズンで、スタメンを外れることも多くなっていた。そんな中、久々のスタメン出場となったある試合前、篠塚が「俺のユニフォームを知らないか」と東京ドームの一塁側ダッグアウト、ベンチ付近をウロウロし、聞き回っていた。
ところが時間は過ぎていくばかり。試合30分前の、両軍監督によるメンバー交換の時間になっても見つからない。
そんな時だった。ホームベース前で行われるメンバー交換に向かうため、長嶋監督が着ていたグラウンドコートを脱ぐと、なぜか背番号6のユニホームが。今度は篠塚が「あっ、俺のだ」と絶叫する番だった。
ちなみに長嶋監督は「なんでこれ着てるの?」と言ったとか。バットコントロールの天才も、背番号まではコントロールできなかったのである。
(阿部勝彦)