ブラジルを破った「マイアミの奇跡」で知られるアトランタ五輪(1996年)のサッカー日本代表。快挙の裏で選手と監督が対立しいたという話は、サッカーファンなら誰もが聞いたことがあるだろう。
しかし、一般に知られている確執と実情はかなり違うようだ。アトランタ五輪メンバーだった前園真聖氏と白井博幸氏、アスルクラロ沼津で今も現役の伊東輝悦が、前園氏のYouTubeチャンネルで裏側について語った。
まず、アトランタ五輪での対立とは何なのか。サッカーライターが解説する。
「ブラジルを破って勝ち点3を獲得し、グループリーグ突破が見えた第2戦の相手はナイジェリア。前半を0-0で終え引き分けでも十分という状況でした。ところがハーフタイムに中田英寿を中心とした攻撃陣は点を取りに行くことを主張し、もっと攻撃的にいきたいと西野朗監督に直訴した。監督はそれを認めず激しい口論になったというのです。第3戦のハンガリー戦で中田が試合に出場しなかったのは、この口論が理由であると言われていました」
では実際のロッカールームはどうだったのか。白井氏が言うに、
「後から知った。そこまで揉めたとか言い合いになったという印象はない。俺からしてみれば、いつの話なんだろう? そんなのあったんだ?」
といった具合で、伊東もこれに同調。口論は知らなかったという。
ただ、それには理由があり、当事者の1人だった前園氏が以下のように明らかにした。
「ワーッと言い合いになれば皆わかると思うけど、そんな感じでもなかった。攻撃が俺と(城)彰二とヒデ(中田)の3人で、カウンターから攻撃になった時にもう少し人数が欲しいから攻撃的に行きましょうよ、と言った。すごく言い合ったら皆どうしたんだってなるけれども、そこまでじゃなかった」
実際には「対立」や「言い合い」とは違い、落ち着いた話し合いだったということだ。