「KK事件」に勝るとも劣らない大騒動となった、江川卓氏(59)を巡る、いわゆる「空白の一日」。作新学院から大学進学を希望していた江川氏に対し、73年のドラフトで阪急が1位で強行指名したところから、コトは始まった。江川氏は入団を拒否して、予定どおり法政大学に進学。やがて77年のドラフトを迎えた。
この時のドラフトはまず指名順位をくじで決め、1番から順に指名していく変則ウェーバー方式。1番クラウン、2番に巨人‥‥と決まったところで1時間の休憩に入った。スポーツライター・飯山満氏が語る。
「クラウンのスタッフがトイレに立ちました。巨人も連れションに行こうとしたところ、他球団が『バカヤロー、誰が密約をさせるか』とゾロゾロついてきて、全員連れション状態になった。実はクラウンは巨人に対し、『江川を指名しても入団してくれそうもないと判断したら、ウチは違う選手を指名する。その代わり、いいトレードをしませんか』と持ちかけるつもりでした。つまり、場合によっては1番くじのクラウンが江川指名を回避するから、2番くじの巨人が江川を指名する。その後、クラウンに有利なトレードを実現させる、と」
その空気を察した巨人が連れションに応じたところ、さらにその空気を読んだ他球団が来て、密談を阻止。飯山氏が続ける。
「1時間の休憩中に2、3回試みましたが、ことごとく阻まれ、失敗に終わっています。困ったクラウンは強行指名。これが『江川連れション事件』です。あの時、連れション密談を許していれば、『空白の一日』はなかった‥‥」
巨人を希望していた江川氏はクラウン入団を拒否し、アメリカに野球留学。そして翌78年、「交渉権を得た球団が選手と交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日まで」という野球協約の裏を突く形で、巨人はドラフト前日に「ドラフト外選手」として江川氏と契約を結んだことを発表した。いわゆる「空白の一日」事件である。ドラフトではこれに抗議した4球団が江川氏を1位指名。いったん阪神に入団後、巨人にトレードされる大騒動に発展したことは周知のとおり。当時のドラフトに関わった球界関係者は言う。
「江川がクラウンを拒否したのは、当時交際していた現夫人と早く結婚したかったから。だから『福岡は(夫人が住む)東京から遠すぎる』と言ったんです。東京とクラウンの本拠地・福岡では遠距離恋愛になってしまいますから。江川の巨人入りに際しては、自民党副総裁で作新学院理事長も務めた船田中氏(自民党・船田元氏の祖父)の秘書が実行部隊として暗躍。読売とパイプがあったのです」
江川氏のような入団拒否選手はその後も出現。元木大介氏(42)=89年・ダイエー1位拒否=は巨人に行きたくてハワイに野球留学浪人し、小池秀郎氏(45)=90年・ロッテ1位拒否=は「ロッテはいちばん避けたかった球団」と言い残して、いったん松下電器入り後に近鉄に入団した。巨人・内海哲也(32)=00年・オリックス1位拒否=は東京ガスを経由して巨人入りを目指したが、
「高校時代にバッテリーを組んだ李景一を巨人が『人質』として8位指名し、内海の気が変わらないように、李に『3年後、一緒にバッテリーを組もう』と言わせています」(スポーツ紙デスク)
巨人・長野久義(29)もまた、06年・日本ハム、08年・ロッテと2度の指名拒否のあと、09年に念願の巨人入りを果たしている。