8月に入ると、今も毎年のように「SMAPファン」がザワつく。2016年8月14日の午前1時前に、当時所属していたジャニーズ事務所が同年12月31日をもってグループの解散を発表したからだ。発表直前の午前0時39分まで、香取慎吾はレギュラーMCを務める「SmaSTATION!!」(テレビ朝日系)に生出演。NHKも臨時ニュースで伝えたほどで、日本中に激震が走った。
5年後の21年8月14日、「事件」が起こった。ジャニーズの名誉会長だった藤島メリー泰子氏が、肺炎のため逝去したのだ(公式サイトで発表されたのは17日)。SMAPがジャニーズ史上最大級のモンスターグループであったのは、いわずもがな。解散の直接的な引き金となったメリー氏が同日に息を引き取ったのは、単なる偶然では済まされない。
振り返れば、メリー氏の弟であるジャニー喜多川氏も、SMAPとは奇縁がある。同氏は19年7月9日に他界しているが、この日は草なぎ剛の45歳の誕生日。ジャニーズの創業者の元2トップが荼毘に付された日が、SMAPと縁があったのだ。
そもそも、SMAP自体も運命的な立ち上がりだった。メンバー6人(デビュー時)のうち、4人が偶然にもオーディションで出会っている。
87年11月、オーディション会場は東京・六本木だった。稲垣吾郎と香取は、その地下鉄最寄り駅に向かう電車から一緒だった。降車した瞬間を、稲垣ははっきり覚えているという。当時、香取は10歳。ランドセルを背負っていた。子どもが六本木にいること、さらに同じオーディション会場に向かったことが、大きなインパクトとして記憶に残ったのだ。
その数分後、稲垣は同じく中学生だった木村拓哉と会場内で初めて会った。同行していた姉は、会場にいた木村にひとめぼれ。サインをもらった。木村にとって初めてのサインは、稲垣の姉となった。その会場には草なぎもいた。
「翌週、未来のジャニーズJr.候補生としてジャニーさんに選ばれたのが、木村と稲垣たち数名。ラーメン屋に連れて行ってもらいました。この翌88年にスケートボーイズが結成。抜てきされた6人が、SMAPとなりました」(アイドル誌ライター)
多くの縁と絆から生まれたSMAPがバラバラになってしまったのは寂しい限りだ。
(北村ともこ)