〈交際15年を経ての結婚なので、もうこの20周年というのが長いのか短いのかさえも分からなくなってきてる~〉
自身のInstagramでそう報告したのは、浅香唯だ。結婚20周年をミュージシャンの夫・西川貴博と祝ったことを報告したのは、今年7月22日。別の投稿では、星柄のバンダナを巻いた夫とのツーショット写真を披露し、
〈本当に心から感謝!これからも精進してまいりますので、夫婦共々どうぞよろしくお願いいたします〉
と幸せな様子を綴った。投稿を目にし、おそらくベテラン芸能記者の多くが感慨深い思いを持ったのではないだろうか。というのも、彼女の波乱に満ちた芸能生活の軌跡は、まさにそのまま夫と歩んできた歴史といってもいいからだ。
浅香は1985年に化粧品のイメージガールに選ばれ、シングル「夏少女」で歌手デビュー。その後は「スケバン刑事」で一躍人気者になり、彼女のファンクラブは全盛期の山口百恵に匹敵する2万8000人の会員を獲得。文字通り、トップアイドルとして芸能界を席巻することになる。
ところが人気絶頂の1989年9月、写真誌が当時の同棲相手だった夫とのデート現場をキャッチする。その後、所属事務所との間にすったもんだがあり、1993年3月6日には記者会見を開いた。
「2月でレコード会社との契約が終わったので、これを機に音楽の幅を広げたい。休養というより、充電かなぁ」
なんと、突然の休養宣言である。ただ、この時には、
「まぁ、結婚はしたいとは思っているんですが、結婚を前提に付き合っている人はいません。特に限定している人もいなし…」
この意味深かつ破局を匂わせる発言に、芸能マスコミの間では「やはり、2人の仲は事務所に引き裂かれたに違いない」といった憶測が流れたのである。
その後、所属事務所も辞めた浅香が、天才アラーキーこと、写真家・荒木経惟氏の手による写真集「FAKE LOVE(偽りの恋)」を発売したのは1994年1月だ。だが、前所属事務所は「94年3月までは芸能活動をしないという約束だった」として、日本音楽事業者協会に提訴。結局、浅香の名前を使うことができず、写真集は本名の「川崎亜紀」として出版されることになった。前事務所関係者は当時、筆者の取材にこう答えている。
「無名の彼女を発掘し、手塩にかけてメジャーに育てたことは事実。ただ、彼女とは契約が切れていて、もうウチとはいっさい関係がないのでコメントする立場にはありません」
とはいえ、彼女は休業宣言から4年間、積極的な芸能活動ができず、1997年にようやく前所属事務所と和解。芸能界に完全復帰することになるのだが、そんな浅香を長年にわたって支えてきたのが、夫である西川だったというわけだ。
それにしても「交際期間15年」とは…。令和の今ではおよそ考えられないであろう、一途な純愛を貫いた2人だったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。