90年代初頭、バブル崩壊後の地価下落で不良資産が増大。住宅金融専門会社(通称・住専)が回収不能となった約6兆5000億円を巡り、日本列島が揺れに揺れたのが、住専騒動だった。
そんな騒動とはレベルは異なるものの、借金返済のために家と車を売り払い、さらにはヘア写真集を出し「どんなことをしてでも、借金は全てお返しいたします」と自宅前で囲み会見を開き、心情を吐露したのが、佳那晃子だった。96年2月27日の出来事である。
佳那は17歳でデビュー後、24歳で出演した小池一雄原作の映画「ザ・ウーマン」が大きな話題を呼び、続く「四季・奈津子」「魔界転生」で有名女優の仲間入りを果たした。
私生活では90年2月、「カックラキン大放送」(日本テレビ系)や「笑ってる場合ですよ」(フジテレビ系)などを手がける人気構成作家の源高志氏と入籍。だが、地獄は突然やってきた。
コトの起こりは、90年9月。源氏が経営する会社が4900万円の不渡りを出し、
「夫の友人が助けてくれるというので、そのお金をお借りしたんですが、その方が突然、高利貸しになりまして…」
利子が利子を生み、93年には借金総額はなんと、3億円に膨れ上がっていたという。
佳那は夫の借金返済のため、94年にヘア写真集「幻想」を出版。だが、ギャラの1000万円も右から左へと消え、4台あったベンツも全て売り払い、収入の90%以上を借金返済に充てるという毎日。銀行口座に残金がないため、電話やガスを止められることもしばしばだった。実際、私が彼女の個人事務所に連絡した際にも「この電話は現在、使われておりません」という音声が流れていた。
会見に臨んだ彼女は、黒いダウンコートにアポロキャップ姿。
「これも4年前に買った服で、この4年間、一度も洋服を買ったことはありません。マンションもローンが払えないので、競売で売れたら出ていくことになると思います」
そう言って涙をぬぐったが、報道陣から「離婚は考えていないのか」との質問が飛ぶと、
「周りから離婚を進められたことは、何度かありました。でも、主人は一緒にいると楽しい人だし、2人でいてこそ一人前、みたいなところがあるんです。2人ともネアカなので、お返しするまでは何とか頑張ろうと」
彼女の言葉には、芯の強さが現れていた。
その後、2人の懸命な努力により、借金は無事に返済。連日、住専問題がクローズアップされていた時期だったこともあり、夫を見捨てず、借金から逃げずに立ち向かう彼女の姿に「住専の連中は、佳那の爪の垢でも煎じて飲むべき」という声が飛んだのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。