地方競馬史上、最長となる約11年のブランクを経て再出発したジョッキーがいる。人呼んで“アラフォーの星”だ。
「同世代の方には頑張ってほしいです。それまで僕も輝き続けますから」
宮下康一騎手、40歳。自身の境遇と重ね合わせる競馬ファンに、宮下騎手はどこまでも温かった。
91年10月、17歳で名古屋競馬からデビューを果たした宮下騎手は、03年7月に金沢競馬場の騎乗で引退するまで重賞獲得は2回。通算5086戦(JRAで5戦含む)した地方競馬界では名の知れた騎手だった。
「30歳に差し迫った時、癖がある馬が1頭いた。馬主さんから『誰も調教できないから来てくれ』と言われて、それで引退して調馬師になったんです」
主に競馬場や牧場で競走馬に乗り続ける毎日。体調管理も騎手ほど厳しくない。だが、月日が追うと勝負師として刺激が足りないとも感じるようになっていた。
調教しだいである程度の着番まで予想もできる一方で、予想に反した納得できない結果もあったという。
「モヤモヤ感が募って、もう一度自分で乗ってやろうとか、何度かそう感じてました。ただ、いまさら復帰して乗れるという自信はそこまでなかったんです」
その再出発の舞台となったのは、今年10月8日、園田競馬3Rにその姿はあった。
「不思議と緊張はなかったです。『若い子には負けたくない。自分にもできるというのを証明したい』とは思っていましたけど、レースになれば集中するだけです」
結果は5着。この日だけで計7度の騎乗。久々のレースという大舞台は、「体力には自信がある」と語る宮下騎手でも、「股関節のあたりが筋肉痛で数日違和感があった」と言い、無意識のうちに力が入っていたのかもしれない。口には出さなくても周囲の期待は十分すぎるほど理解している。
だが、再出発後の初勝利は、思いのほか早く訪れた。再デビューから2日後の10日、園田最終R。木村健騎手の3000勝達成がかかる注目のレースで、宮下騎手は番狂わせを起こした。
木村騎手は1.1倍という断然1番人気のカプチーノに騎乗。対して、宮下騎手は8番人気のテイケイカトレヤの手綱を握っていた。
「正直な感想を言うと、『何か勝っちゃった』です。このレース、自分の馬が進むところ進むところ、1頭分の道があいていくんです。まるでビクトリーロードみたいに‥‥。非常に冷静に見れていた」
1着を飾ったことで宮下騎手の勝利数は435勝になった。
「復帰を真剣に考えたのは、妹が3年前に引退したからです。今の自分自身の心境もうまく言い表せないんですが、寂しさというか、妹を自分のことのように応援していたけど、心にぽっかりと穴があいたというか。だったら、自分が、という気持ちが芽生えたんです」
宮下騎手の妹とは、11年8月11日に引退した宮下瞳騎手。通算勝利数は626勝、女性騎手の最多勝記録保持者である。
「目標ですか? まずは妹の勝利数に並びたいです」
そして騎手免許の再取得へ。実は昨年も取得を目指したが、二次選考で不合格。周りの関係者らは受かる前提で待っていた。
「馬主さんが騎乗する馬まで用意してくれていたんです。デビュー戦の段取りまでできていたんですが‥‥」
今年の合格発表は9月17日だった。真っ先に妹にメールで合格を報告。すると、その返信に「私も昨日出産しました」と書かれていた。
「妹の2人目の子供が合格発表の前日に生まれたそうで、僕に心配かけまいと出産日を伏せていたんです」
今は妹が応援する立場となって、宮下騎手に勝負服や準備金までプレゼント。アラフォーの星は、さまざまな期待を背負っている。