今、振り返ってみても、あの離婚劇は本当にミステリアスだった。
2001年6月25日、堺正章の妻で元タレントの岡田美里が都内で、7月に出版予定の著書「『しあわせ』のかたち/PTSDからの旅立ち」(講談社)の出版発表記者会見を行った。ところがその席上、突如として飛び出したのが、おしどり夫婦と言われてきた堺との離婚発表だったのである。
「結婚当初は週に4日、一緒にゴルフをしていたのに、忙しくなってしまって…。仕事ばかりしていて詐欺だと思った。子供の父親としては素晴らしいDNAを与えてくれましたが、私の配偶者としてはふさわしくなかった。もう愛はないので、離婚が決まってスッキリしています」
笑顔で12年間の結婚生活にピリオドを打ったことを報告したのだ。
2人には当時10歳と7歳の女児がいたが、親権は堺、養育権は岡田が持ち、慰謝料はなし。財産分与、そして養育費を堺が支払うことで離婚合意に至ったという。
岡田は自身が思春期の頃に体験した父親の家庭内暴力がトラウマになり、PTSDを発症。
「堺が付き人を怒鳴ったり、ハガキを机の上にポンと置くだけで恐怖を感じるようになった」
と告白したのである。さらには、お中元シーズンなどに送られてくる宅配便に1日何回も判をつき、家で食べきれないほどの食材を毎日食べ、令状を書くことに過大なストレスを感じていた、そして夫に暴力を振るわれるのではないかと怖かった、という心情を吐露した。
一方、2日後に都内で記者会見を開いた堺は、こう言った。
「2年前に彼女の心に傷があるということを聞かされて、生活の中でできる限りの努力をしてきたつもりだし、自分も2度目(の結婚)ですし、子供もいるので慎重に、大切に思っていたんですが…。結局は僕が仕事人間だったことが原因です」
目を充血させて、唇をかみしめたのである。
案の定、堺の会見には世間から同情が集まることになったのだが、そんな最中、芸能マスコミ各社に送られてきたのが、美里の親族と称する人物からのFAXだった。そこには岡田本人が親戚に送ったという手紙の内容と、その親戚からのメッセージがA4サイズ3枚にびっしり記されていた。離婚の根底には堺の奔放な女性関係があり、〈美里ちゃんは、それを記者会見では口にしなかった。自分が悪者になれば、すべてが丸く納まるという考え方がPTSDなのです〉といった内容がしたためられていたのである。
だが、手紙を送ったとされる人物は、海外渡航中で所在不明。岡田自身も怪文書の内容を全面否定したことで結局、誰が何のためにマスコミ各所にFAXを流したかわからないまま、このミステリアスな離婚劇は幕を下ろすことになった。
その後、岡田は2003年に再婚するも、2008年には離婚。現在は2022年5月に再々婚した幼馴染の実業家と幸せな家庭を築いていると伝えられるが、あれは世間にPTSDという病名を知らしめた記者会見でもあったのだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。