子役から芸能活動をしていると、母親が子供について回ることから、いわゆるステージママになるケースが少なくない。確かに宮沢りえ母娘や安達祐実母娘しかり、美空ひばりの母・喜美枝さんなどは「一卵性親子」と言われた、昭和を代表するステージママとして有名な存在だった。
80年代から90年代にかけて「和服の似合う美人女優」として、テレビや映画で大活躍した女優・叶和貴子もまた、そんなひとりだった。
叶が田中健・古手川祐子夫妻の仲人により、都内でライブハウスを経営する10歳上のA氏と9年の交際を経て結婚したのは、88年3月のことだ。ところが、2人はわずか3年後の91年2月28日に、離婚届を提出。3月6日、都内で単独記者会見を開いた叶によれば、
「(A氏とは)考え方、生き方の食い違いが少しずつ重なって…。ある日突然、空気が違うなと思ったんです。お互い理解しようと努力すればするほど、無理が出て。妻らしいことは何もしてあげられなかった」
そう言って、大粒の涙を落としたのだった。
ライブハウス経営の夫は連日、仕事で朝帰り。一方、ドラマの仕事が多い彼女は早朝出勤が多く、すれ違いによる夫婦ゲンカは頻繁にあったという。
叶が家を飛び出して実家に戻ったのは、3年間で3回。ただ、2度目まではA氏が電話で説得し「私にも悪いところがあったので、ごめんなさいと謝って」戻ってきたという。
しかし、3度目は夫からの電話がなく、
「どうせ戻っても同じことになると思い、帰りませんでした」
これが決定打となり、話し合いの末、双方が離婚に合意。慰謝料はなかった。
しかし、会見では離婚に至った具体的な理由については触れられなかったことで「泥仕合を避けるため『詳細は公表しない』とする念書を交わした」といった報道も。
そこでA氏を直撃すると、
「(離婚の理由は)夫婦のことですから。ただ、お互い仕事をしたいという気持ちが強すぎたのかな。これからも素晴らしい女優になってもらいたいですね」
叶を知るテレビ制作会社関係者を取材すると、意外な答えが返ってきた。
「彼女の母親は、叶を女手ひとつで女優に育て上げた、有名なステージママ。事務所の社長であり、マネージャーで、まさに『一卵性親子』なんです。そんなことから、ライブハウスの経営等、将来的なことを含め、A氏との結婚には当初から反対だったという噂があります。離婚にはそのあたりの複雑な事情も絡んでいるようです」
9年の交際を経て、いわば全てを知り尽くした上で結婚したであろう2人。だが、わずか3年での破局に、理想と現実の間にあった、埋めることのできない大きな溝を感じたのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。