舌の根も乾かぬうちに、という喩えはこういう時に使うのだろう。そう痛感したのが、玉置浩二と薬師丸ひろ子の、結婚7年目の離婚劇だった。
98年6月1日、主演するミュージカル「シュガー」(同年9月公演)の制作発表記者会見に臨んだ薬師丸。彼女が玉置と結婚したのは91年1月だ。しかし当時、玉置とは別居中だったこともあり、この日も報道陣から離婚問題についての質問が相次いだ。
薬師丸は「お互いに仕事を褒め合うことが、いちばん嬉しいですから」としてサラリとかわし、「仮面夫婦」と言われた関係もしばらく続くのでは、と思われた。
ところが4日後の6月5日夜、2人は突如、離婚を発表したのである。しかもその場所が、新宿のパークハイアット東京39階で開かれていた薬師丸34歳の誕生パーティーの席上とあって、まさに100人の招待者全員、口あんぐりの珍騒動となったのである。
このパーティーにはマスコミ関係者が皆無だったこともあり、離婚情報がマスコミに流れたのは、パーティー終了後。
そこで翌日、パーティーに出席していた映画関係者を取材すると、それは終盤の三本締め直前に突然、玉置の口から飛び出したのだという。
「会場にはミッキーマウスの風船が飾り付けられていて、玉置さんは自らが司会を担当するなど、最初からハイテンションでね。中盤、2人の思い出の曲として『ワインレッドの心』を熱唱したり、薬師丸さんがそれに応えて『セーラー服と機関銃』を歌ったりして、終始和やかな雰囲気だったんですが…」
しかし、お開き間近になると、雰囲気がガラリと変わったそうで、
「突然、玉置さんが『出会って10年。本当に幸せだった』と、2人のなれ初めを話し始めたんですが、語尾がすべて過去形でね。あれっと思っていると『今日で別れます。今まですごく楽しかった。長い間話し合って、生き方を別々にすることにしました。心はすごく通じ合っているし、これからも通じ合うことでしょう』と」
玉置の隣にいた薬師丸も「そういうことです。届けはこれから出します」と笑顔で続けたというのだが、むろん驚いたのは会場にいた招待客だ。映画関係者が続ける。
「拍手を送るわけにもいかないし、会場は静まり返ったまま。帰り際、お土産に2人のCDと饅頭が手渡されたんですが、みんなどう声を掛けたらいいのかわからず、複雑な思いで会場をあとにするしかなかったですね」
円満をアピールしたあの会見から、なんとも「見事な」早業だったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。