プロ通算2097安打で名球会入りした元ヤクルトの古田敦也氏は、トヨタ自動車出身。立命館大学時代、メガネをかけていることを理由にドラフトにかからず、失意の中、社会人野球へと進む。1988年、ソウル五輪では日本代表として野茂英雄、潮崎哲也らとバッテリーを組み、銀メダルを獲得した。これが1989年にドラフト2位でヤクルト入りする足掛かりに。しかし、そんな古巣のトヨタを「恨んだ」と振り返る古田氏。いったい何があったのか。野球解説者・上原浩治氏のYouTubeチャンネル〈上原浩治の雑談魂〉で、古田氏は現役時代のとある試合を回顧した。
当時の野村克也監督から「あそこはストレートじゃなくてスライダーだろ」と説教が飛ぶ。だから打たれたのだと指摘を受けたのだが、投げたのは実はスライダーだった。
「トヨタ自動車の時に、イエスマンになるなっていう教育を受けたんです。『はい』しか言わない部下が増えると、組織はよくならない」
それゆえ野村監督の指摘に、勇気を振り絞って反論した。
「監督、お言葉を返すようですけど『スライダーを投げろ』って、実はアレ、スライダーだったんです」
すると野村監督は、烈火のごとく激怒。
「今、何言うた。お前は俺のナンだ! お前は俺の部下だろう! 部下は『はい』とだけ言っとけばいいんだよ」
なんと、そんな言葉を聞かされたというのだ。古田氏がさらに振り返る。
「その時だけはトヨタを恨んだ。プロ野球でまったく通用しなかったわけ。それから2年間は『はい』しか言わなかった。それで生き残ってこれました」
「言いにくいことを口にしてくれる人が必要」は、野村監督の格言のひとつだが、その時はたまたま虫の居所が悪かったということか。
(所ひで/ユーチューブライター)