「特別な環境で育ててしまったので、どっかでグレるかなと思っていましたが、それもなかった。俳優になって、ますます真面目になりました」
今年5月10日、長男で俳優の窪塚愛流とともに、都内で行われた紳士服メーカーのアンバサダーとして記者会見に出席した窪塚洋介は、こう語って息子の成長に目を細めた。
愛流は2003年10月、窪塚夫妻の第一子として誕生したが、翌2004年6月、窪塚は高さ26メートルの自宅マンションから転落。奇跡の生還を遂げたこともあって、会見で司会者から「生まれ変わるとしたら?」との質問に「鳥になりたい」と答える愛流。それに対し、
「お前、やめなさい! お父さんのことがあるんだから。なれなかったんだから、止めなさい。飛べないんだから!」
窪塚が自虐ネタで返し、会場を沸かせる一幕があった。
「あの事故」が起こった6月6日は、朝から冷たい雨が降りしきる日曜日だった。場所は横須賀市西浦賀町にある、窪塚の自宅マンション。正午の時報後、エントランス付近にドスンという大きな音が響いた。所轄の浦賀署によれば、
「12時10分にマンション住人から110番通報があり、署員が駆け付けると、マンション敷地内の芝生の上で、男性がうめき声をあげなら仰向けで倒れており、9階角部屋に住む窪塚さんであると確認されました」
窪塚はマンションで親子3人で暮らしており、署員の事情聴取に対して夫人は、
「部屋で話をしていて、テラスへ行ったと思ったら、姿が消えていた」
遺書はなかったが、所轄署では「突発的な自殺のセンも含め、関係者から話を聞く」とする中、翌7日深夜1時過ぎに、窪塚の事務所がマスコミ各社にFAXを流した。そこにはこんな文面が綴られていたのである。
〈自宅ベランダに設置してある鯉のぼりの取り付け器具を外す作業の際、本人の不注意により転落いたしました。骨折は数か所ありますが、意識はしっかりしております〉
ただ、マンションの住人を取材すると、
「鯉のぼりなんて見たことがない」
以前から窪塚が大麻礼賛発言を繰り返し、精神世界に言及していたこともあり、スピリチュアル思考の果てに死を求めたのではないのか、といった憶測が飛び交ったものだ。
そんな彼がまさに神がかり的な早さで仕事に復帰、公の場に姿を見せたのは翌2005年4月28日である。映画「同じ月を見ている」の制作発表会見に登壇した窪塚は、マンションから落ちた時の記憶はないとしながらも、
「これまで生きて来た中で、死にたいと思ったことはない。生まれ変わったというほど新品ではございませんが、自分にとって余計なものだったり、必要のないものが色々と消えて、ほんとに大切なものが残ったように思います。まだ体調は本調子ではなく、走る速度は子供以下ですが、捨て身でやるのみです」
その穏やかな表情は、事故以前の憑き物がついたようなあの顔とは、全く異なって見えた。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。