18歳の時、日活映画「セーラー服色情飼育」でデビュー。80年代にはバラエティー番組「オレたちひょうきん族」や、ドラマ「トライアングル・ブルー」に出演するなど、その愛くるしいキャラで人気だったのは、可愛かずみである。
そんな彼女が、東京・目黒区駒場にあるマンションの7階から飛び降り、32歳という短い生涯を終えたのは、1997年5月9日夜。
当時の取材メモによれば、所轄警察署の談話として「午後7時過ぎに女性が血まみれで倒れているとの通報があり、現場に駆け付けたところ、女性はうつぶせの状態で倒れており、後頭部が深く陥没していた」とある。すぐに東京医大病院に搬送されたものの、「間もなく死亡が確認された」とも記されていた。
彼女が飛び降りたマンション7階の踊り場には黒い靴が並べられ、財布には現金10万円と免許証、さらには病院の診察券があり、遺書はなかった。
人気タレントの飛び降り自死。ただでさえ、世間に与えた衝撃度は大きかった。
しかし彼女が「最後の場所」に選んだのが、元カレであるプロ野球選手の自宅マンションだったことでその衝撃はさらに大きくなり、一般紙も巻き込む大騒動へと発展したのである。
だが、話はこれで終わりではなかった。仮通夜が行われた翌10日、可愛の所属事務所社長が、可愛に婚約者がいたことを公表。2人はこの年の7月には入籍し、結婚披露宴パーティーを開く段取りまでつけていたというのである。
そして登場したのが、当時28歳の婚約者A氏だった。都内で自動車販売会社を経営する実業家で、可愛がプロ野球選手と破局後に知り合い、交際を続けてきたという。緊急記者会見を開いたA氏は、
「僕は芸能人ではないし、表に出るつもりはなかったのですが、収拾がつかないので…」
として、噂された「元カレへの当てつけ説」や「大物女優からのイジメ説」を否定。
「週刊誌では『妊娠していた』なんて書かれましたが、まったくのデタラメです。仕事の悩みはあったでしょうが、最終的には本人にしかわからないことで…」
とはいえ、婚約者がいて入籍も間近となれば、いったい何が彼女を自死にまで追い詰めたのか。
当然のことながら、その後も連日のように洪水のごとく報道が続き、私も可愛の友人や知人、仕事関係者を片っ端から取材して回ったが、結局、真相にたどり着くことは叶わなかった。
衝撃的なあの事件から、今年でちょうど25年。今もその真相は解き明かされていない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。