習近平国家主席の最大のライバルと言われていた李克強前首相の急逝に、中国共産党指導部が神経を尖らせている。「独裁者」として君臨する習近平に対し、李前首相は人民に寄り添う「親民」として慕われてきた人物。指導部は人民の李前首相に対する追慕の思いが、やがて習体制批判へと転化することを恐れているのだ。
その警戒ぶりは、上海で静養中の李前首相がプールで遊泳中に心臓発作で急逝したとされる10月26日以降の、当局の動きからも見て取れる。概略は以下の通りだ。
●10月27日、李前首相の訃報を伝えていたNHK国際放送のニュース番組が、中国当局の検閲によって「異常信号」の表示とともに遮断された。
●10月28日、李前首相が少年時代を過ごした安徽県合肥市の旧居前に、1万人を超える地元人民らが献花に訪れた。献花の高さが2メートル以上にも及ぶ中、当局が動員した治安ボランティア、警察官、私服警官などが人民らの動きに目を光らせるとともに、中国のSNS「微博」では李前首相の死去に関する投稿の閲覧が規制された。
●10月29日、李前首相の旧居前が献花の花束で埋め尽くされる中、当局はSNSへの投稿も含めた、学生らの追悼活動を禁止する通知を発令。また、旧居前では治安ボランティアが弔問者らが供えた弔辞を検閲して抜き取ったり、献花後はすぐにその場を立ち去るよう命じたりするなど、監視態勢を一段と強化した。
●11月2日、李前首相の遺体が北京市郊外の八宝山革命公墓で荼毘に付される中、追悼活動が抗議活動に発展することを警戒した当局は、市内に厳戒態勢を敷いた。
習近平政権の内情に詳しい国際政治学者が指摘する。
「中国国内では今、経済の失速や失業の増加などによって、人民の不満が限界点に達しつつあります。1989年に改革派指導者として知られた胡耀邦元総書記が急逝した時も、追悼活動が学生らによる民主化運動へと発展し、同年6月4日の天安門事件の悲劇を生んだ。李前首相の急逝で『第2の天安門事件』の発生が憂慮されるゆえんです」
ならばその時、習近平はどのような「粛清」に乗り出すのか。国際政治学者が続ける。
「天安門事件では人民解放軍の戦車の前に立ちはだかった『無名の反逆者』の行動が、世界的ニュースになりました。独裁を欲しいままにしている習近平なら、蜂起した群衆を戦車で轢き殺したり、装甲車から一斉射殺したり、という暴挙も辞さないでしょう」
結局、恐怖の独裁政治は、習近平が生きている限り続くということだ。
(石森巌)