他を寄せつけない博学な毒舌トークに、心の機微に触れる繊細な歌。酒を飲ませれば超豪快。いや、これだけではない。古川氏は、さらなるビッグスケールな一面を証言するのだ。
「95年の4月、たかじんが40代半ばの頃だったと記憶しています。『酒と女はさんざんやったから、これからは競馬を始めたいと思ってるんですけど、予想紙の見方もわかれへんし、一から競馬のこと教えてもらえませんか』と電話がかかってきたんです」
その年の8月、古川氏はたかじんを伴って北海道・函館競馬場へ。夏競馬を観戦したのだ。
「金曜日の夜に札幌に到着すると、たかじんお気に入りのジンギスカン店で腹ごしらえ。その後はススキノに行き、9階建の歓楽ビルの最上階から1軒ずつ、8階、7階、6階‥‥北新地でもおなじみの1軒10分から15分程度のはしご酒です。翌日は午前中から競馬場に行くことになっていたので『まだ5階以下が残っている』と言うたかじんをなだめ、ホテルに帰りました」
結局、2日間の北海道遠征はトータルで20万円のマイナス収支に。古川氏が続けて語る。
「その後もたかじんは競馬にのめり込んでいき、競馬場へ行く際は200万円の軍資金を用意して臨んでいました。それが15年くらい続いたと思います。馬券を買い始めて2年後には馬主にもなったし、全部で8頭くらいの馬も持った。恐らく馬券でスッた額は1億円を超えますが、たかじんは楽しそうでしたね」
ギャンブラーたかじんの姿もまた、常人をはるかにしのぐものだったのだ。
そして勝負ごととして競馬と共通するゴルフにも全力で挑む。55歳の誕生日に開催したゴルフコンペは、今も伝説として語られるものだった。参加した金村氏がしみじみと言う。
「これがすごかった。たかじんさんは『みんな1円も払わんでよろしい』と関西の名門『キングスロードゴルフクラブ』を貸し切って200人を招待。でも『カネが足らへん』ということになって、『おい金村、オレにつきあえ』と1カ月ほど北新地を回り、経営者らに頭を下げ、スポンサー集めに奔走した。コンペのあとは有馬温泉の高級旅館でハワイ旅行や自動車などの豪華賞品が当たる大宴会、さらに、バスをチャーターして北新地へ移動しての二次会‥‥。参加者全員を収容できる店がなかったため、参加者が何店舗かに分かれて飲み、たかじんさんが各店を回っていました」
こうしたみずからの言動は「やしきたかじん」という特異な才能を形成し、だからこそ他人に言えることがあった。八木氏は新人の局アナ時代に諭された言葉を、今もよく覚えている。
「八木くん、世の中、本物を知らなあかん。本物を知らない偽者がテレビに出てはダメなんや。偽物の世界しか知らずに、それをテレビで発信したら、それ自体が偽物になる。やっぱり本物を知ったホンマもんの人間が人前に出な、あかん。それとテレビでは絶対ウソついちゃ、あかん。手を抜いても、あかん。思っていないことを言っても、あかん。視聴者をナメたら、あかん。特に関西人は何でも見抜くから」
そして口癖のように「本物に触れて、本物の人間になれ」「本気でやらな、あかん」と‥‥。
それこそが、ガチンコ人生を終えて天国へと行ったたかじんの姿なのである。