「たかじんnoばぁ~」の人気と相前後して、たかじんは東京進出を画策。その時は、先輩に当たる上岡龍太郎に相談するなど、本気で全国制覇を狙っていたという。
当時を知る在京テレビ局関係者が語る。
「たかじんさんは、東京進出にあたって、上岡さんのアドバイスを参考にかなり綿密に作戦を練っていた。とりわけ、東京のキー局は規制が多く、出演者よりも制作者側の力関係が強いことから、イニシアティブを握らせないように、旧知の出演者を配するなどして、なるべく大阪の番組の雰囲気に近い収録環境にしようと気を張っていました。それだけに、関西のどこかノリのいい感じとは違って、どこかピリピリしたところがありました」
そうした最中に、トラブルが発生する。生放送中に激怒したたかじんが、番組を投げ出して帰宅してしまうという騒動が起きたのである。放送担当記者が振り返る。
「たかじんさんが怒ったのは、テレビ朝日で放送していた『M10』という番組でのことでした。番組上、料理学校の生徒と料理を作ることになっていたが、途中で化学調味料がないことに気づいたたかじんが、『調味料はどこじゃーっ』と何度も連呼。ところがスタッフが誰も対応しないばかりか、最後まで調味料が出てこないことに感情がヒートアップした。最終的に『こんな腐った番組辞めたる!』とタンカを切って、そのまま生放送中にもかかわらずボイコットしてしまった」
しかし、テレビ局の上層部は、このトラブルに対して、一切、たかじんを擁護することなく、番組は打ち切りの憂き目に。この一件で、たかじんは東京の番組には一切出演しなくなってしまったのである。
制作スタッフが言う。
「たかじんさんは、番組のスタッフも一種のファミリーのように接するべきだと思っている。だから、毒舌でリスクを冒しつつ本音をぶつけても、最後には番組スタッフが防波堤になってくれるという信頼関係が前提になっているんです。その関係を構築するために、関西のレギュラーではガンになる前までは、収録終わりは必ず飲み会でした。収録が2本撮りで夕方6時か7時に終わってから楽屋でずっと飲みっぱなし。延々と6時間続くこともありました。たかじんさんが帰ると言うまで帰れないし、楽屋で飲む時は、酒は本人が持ってくる。焼酎とワインが多かったですね。ある時、ロマネコンティを持ってきてみんな飲め、とADにもふるまっていました。とりあえずおいしいですね、と喜んでいましたけど、味はハッキリ言ってわからなかった。でも、飲める経験なんて一生ないでしょうからいい思い出です。そのロマネコンティは50万円ぐらいだったと思います。スタッフにも味を覚えろということだったんでしょう。一見ぶっきらぼうですが、てれ屋で気を遣う人です」
かつては、自身でテレビ制作会社を率いていたこともあるたかじんだけに、スタッフの人心を掌握してこそ、「視聴率王」の座を維持できるということを本人がいちばん身にしみてわかっているのである。