やしきたかじんが今年1月3日に亡くなって間もなく1年。11月に発売されたガン闘病記「殉愛」を巡っては、出版差し止めなどの訴訟トラブルが勃発し、物議を醸している。そこで、たかじんと親交が深かった8人の著名人を直撃。闘病本には書かれなかった超豪快伝説を発掘した。
12年1月末に食道ガンを理由に芸能活動を休止。その後、13年3月に復帰を果たすが、再び体調不良を訴え、休養生活に入ったまま、今年1月に64年の生涯を終えたやしきたかじん。今年5月1日からJR大阪駅の発車メロディが代表曲「やっぱ好きやねん」になるなど、死後もなお絶大な人気を集めている。
一周忌が近づく中で、壮絶なガン闘病生活を描いた作家・百田尚樹氏の著書「殉愛」(幻冬舎)に書かれたエピソードの「真偽」が問題となり、親族が訴訟を起こす事態に発展しているのは、たかじんファンにとっては残念なことである。その結末は司法の裁定に委ねるとして、死後も続く大人気番組「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)などで共演した中部大学の武田邦彦教授は、最後に対面した時の様子を振り返る。
「13年3月に現場復帰された直後に収録で会いました。頬がこけるほど痩せていたので心配でしたね。以前は1回の収録で2本撮りだったのが、この時はたかじんさんの体調を考慮して1本撮りに。本番中は以前と変わらないキレのある毒舌は健在でしたが、カメラが止まると控え室で横になっていました。でも、タバコは吸っていましたね」
発症していたのは食道ガン。タバコを吸っていいはずがない。
タバコだけでなく酒も愛したたかじんは本拠地、大阪・北新地での武勇伝は数知れず。野球解説者の金村義明氏が秘話を明かす。
「10年ほど前になりますが、北新地を歩いていたら『おい金村、ちょっとこっちに来んかい』と呼びつけられたんで振り向いたら、たかじんさんだった。『何やっているんですか?』と尋ねると『こいつが下手やから、代わりにオレがやってんねん』と、ストリートミュージシャンからギターを奪って弾き語りをしていたんです。結局、『金村、お前も歌え!』となって、たかじんさんのデビュー曲『ゆめいらんかね』のサビを延々と歌わされました。ほろ酔いのたかじんさんは、アフターでホステスを連れて歩いている顔なじみの社長らに『おい、財布出せ』と声をかけて、チップを払わせていました」
この時の様子はテレビ番組内で「ストリートライブで20万円稼いだ」と豪語したというが、実際は7万~8万円。だが、チップは全額、ストリートミュージシャンに渡している。
たかじんの豪遊ぶりをたたえて北新地「堂島浜通り」を「たかじん通り」に改名、さらに「たかじん像」の建立プランもあるが、「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ)にレギュラー出演するフリーキャスターの八木早希氏は「新地は大阪の文化やから残さな」という、たかじんの言葉が印象に残っていると言う。
「毎日放送の新人局アナ時代の2001年にアメリカの9・11テロが起こり、その2週間後にたかじんさんの通訳役として3泊5日のニューヨーク取材に同行したのをきっかけに、北新地にもよく連れて行ってもらっていました。たかじんさんはトラックや露天で細々と果物を売っているおじさんに『このイチゴ、全部もらうわ』と、段ボールごと買い占めて、同行した私たちに配るだけでなく、通りすがりの人を捕まえて、『兄ちゃん、お前ちょっとこれ持って帰れ』と配ったりしていました」
北新地という街を愛し、応援する姿勢の表れが、そんな行動に駆り立てたのだった。
「着席しただけで何万円も請求される高級クラブにも連れて行かれ、『八木くん、ママがどういう時にグラスを引いて、話しかけているかをよく見ておきなさい』『本物のワインの味を教えたる』と」(八木氏)
さらには「ええ女とはこういうもんや。わかるか」「はい、わかりました」という感じで、大人の手ほどきを受けたのだった。