悲願の日本一からわずか1年で最下位に転落。と同時に監督を途中退任し、「SA」という何やら阪神時代を思わせる肩書を得たのは「鉄拳・星野仙一」である。楽天での「新たな実績」を足がかりに、「次のステージ」へと向かう野望が渦巻いているのだが、はたして──。
9月18日の電撃辞任会見時、すでに三木谷浩史オーナー(51)から「引き続き、より高いところから関わっていただきたい」との「残留要請」を受けていた楽天・星野仙一前監督(67)。にもかかわらず、球団SA(シニアアドバイザー)就任が発表される11月9日までずいぶん時間がかかったのは、さまざまな駆け引きがあったからだという。
「アドバイザー的な立場に、とのオファーは受けたものの、その役割がハッキリしなかった。かつて野村克也氏(79)が監督退任後に名誉監督に就任しましたが、あれは単なるお飾り。だから星野氏は『名誉職なら断る』とマスコミを通じて球団にプレッシャーをかけました。これはいい作戦だったと思います。なぜ名誉職だと困るのか。実権を握り、楽天を“実効支配”したいからです。ではなぜ監督を辞めたのか。気力も体力も落ちてきたため、事実上の総監督になろう、と。糖尿から来る高血圧で薬も飲んでおり、体はかなりキツかったようですから。そこで、実効支配へとシフトしたのです」(スポーツ紙デスク)
星野氏は「いつまでもこうるさいジイサンでいるからな」と発言するなど、チーム内に影響力を残そうとしている。事実、11月25日の球団納会の席では、「小言があったら直接言うぞ」と、選手たちに宣言していたという。
後任の大久保博元新監督(47)もまた、星野氏を「オヤジ」と呼んで尊敬の念を表し、「オヤジの野球を継承していく」と、星野路線を進むことを強調。倉敷マスカットスタジアムでの秋季キャンプでは、
「リップサービス半分で、『僕は監督ですが、監督は星野さんですから』と自虐的なコメントをしていました」(東北マスコミ関係者)
さながら「院政」を思わせる状況なのである。
11月15日、秋季キャンプを訪問した星野氏は、大久保監督に「自分の思ったようにやれ。俺は現場には介入せん」と声をかけた。球界関係者が言う。
「とはいえ、星野氏は2時間ほど、大久保監督とともに監督室にこもっていました。いったい何を話していたのか‥‥」
ただ、星野氏の「実権掌握」を歓迎する声は、選手の間からも出ているという。
「大久保監督を苦手とする選手にとっては、目を光らせてくれる存在があるのはありがたい。大久保監督が楽天の打撃コーチに就任した12年、攻撃時に『3球目以降はベンチからカウントを叫べ』とバカバカしい指令を出し、選手をアキレさせました。田淵ヘッドコーチ(当時)も『バカじゃねぇか。やめろ』と一蹴したほどです。今年7月、腰痛で休養した星野氏の代行監督を務めた際にも、選手の不評を買いましたね。打順を大きく組み替え、ベテランの松井稼頭央(39)を外野に回し、若手の西田哲朗(23)を遊撃手として使いました。あるいは則本昂大(23)の登板間隔を狭めて酷使したり、ルーキー松井裕樹(19)を中継ぎ登板させたり‥‥」(楽天担当記者)
星野氏にとっても、「オヤジの野球を継承する」と言いながら、まったく違うことをしようとする大久保監督は、監視対象となりうる。
さらに球団サイドからも新コーチ陣には「大久保監督に挨拶するより、星野さんに電話を入れろ」との指示が出ているのだと‥‥。
球団にとって、球界人脈豊富な星野氏は「利用価値」がある人物と評されているのだ。